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この世で最も価値のあるエッセイ

 それは俺の書いたエッセイです。こんにちは。

 あっ石を投げないで聞いて欲しい。つまりどういうことかというと、エッセイというやつは感情の軸線を書き殴る娯楽なわけであって、であるならばこの世で最も重視されるべき観測者である“俺”の感情のボラティリティにこそ最も価値がある、ってことなんですよ。

 最も価値のある小説、とかならこうはならない。俺よりも面白いアイディア。俺よりも優れた文章表現しかこの世には存在しないと言っても過言ではない訳で。でもさ、エッセイにおける“感情”だけは他の誰にも代替出来っこない俺だけのもの。だから自由であるべきだし、俺にとって俺のエッセイにこそ最も価値があるってことなんですよ。

 優れたエッセイストになる能力なんてぶっちゃけ“その人の動向や感情に重きを置いてもらえる人”になる以外なくないですか?アイディアやテキストをいくら推敲して優れたものを作ったとして、書いた人の感情を読み手が“大事”と思わないと何の意味もない。文章の練習するより先に地位や名声を手に入れるか、なんらかの注目に値する事件を起こして収監された方が早いよ。


 何が言いたいかって? 俺は俺くらい大事に思ってる人が結構いっぱいいてですね、そういう人の感情の軸線を見せて欲しいなって常日頃思ってんだよ。君ら、もっと文章を書いて俺に見せて欲しいんだよね。頼むよ。

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