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時をかける3つの橋【神通川橋梁(北陸新幹線)、新神通川橋梁(あいの風とやま鉄道線、JR高山本線)】

3日目の午前中、私たちは富山市内の巡検を行っていました。
富山市といえば、何かと土木学生に問われると真っ先に「交通とまちづくり」、「トラム(ライトレール)」と口をそろえて言うことでしょう。富山市は「串と団子型のコンパクトシティ」づくりをめざし、地域の足となるトラムやバスを最大限に活用した公共交通機関中心の街づくりを実践されている自治体です。このあたりの話は別記事で取り上げているので、詳しくはそちらをご覧ください。

さて土木学生にとって外せない場所がまだあります。それが富山駅から徒歩15分程度の所にある、北陸新幹線の神通川橋梁、あいの風とやま鉄道・JR高山本線の新神通川橋梁です。

神通川橋梁・新神通川橋梁の位置(Google Mapより)

これらは現在、神通川を超え、高岡・金沢と富山・黒部方面をつなげる重要な役割を果たす鉄道橋であり、路線別に三橋あります。しかし実は最初から三橋あったわけではありません。
まずは在来線のあいの風とやま鉄道、JR高山本線にかかる新神通川橋梁から。

在来線(あいの風とやま鉄道(左)・高山本線(右))・新神通川橋梁

写真の左手の複線の橋があいの風とやま鉄道、右手の単線の橋がJR高山本線の線路です。右手の橋の方が年季が入っていることがお分かりいただけるでしょうか。右手の橋は明治41(1908)年に完成した、これらの三橋のなかでは最も古いものとなります。北陸新幹線開通前、あいの風とやま鉄道の前身であるJR北陸本線はかつて単線で、高山本線と共用でした。昭和34(1959)年に旧北陸本線が複線化されたタイミングで、単線の旧橋が高山本線用、複線の新橋が北陸本線用と路線別に橋がわけられました。

高山本線・新神通川橋梁を下から

旧橋は今では振動による騒音対策等を理由として珍しくなったピン結合の鋼曲弦プラットトラスであり、下部工はレンガ橋脚という点から、日本の近代土木遺産に登録されています。現在旧橋は二橋に挟まれて外から一見するとどこにあるのかが分かりづらくなってしまいましたが、100年以上地域間をつなげる役割を今でも果たし続けていることは、「100年残るモノづくり」を目指す土木屋にとって、もし仮にこの橋を設計施工した人ならどれだけ感無量なことか(あるいは当然というかもしれませんね)、こんなことを考えながら、技術者のタマゴながらに筆者もあこがれを抱きました。

北陸新幹線・神通川橋梁

時は進み平成24(2012)年、北陸新幹線開業のタイミングで、神通川に新しい橋が建設されました。その名は「神通川橋梁」。どれが新しくて古いのかよくわからなくなってしまった感じですね。よくないファイル名のつけ方に倣って新々神通川橋梁などにならずによかった。
閑話休題。
この橋もデザインが公表されたタイミングで話題になっていたのをおぼろげに覚えています。橋梁形式はエクストラドーズド橋で、普通の斜張橋に比べて主塔の高さが約半分で済むため、景観上他の二橋に比べて非常にすっきりとした見た目となります。他にも構造上有利な点が、PC橋や斜張橋と比べていくつかありますが、詳しく知りたい方は是非下記リンクをご参照下さい。

このエクストラドーズド橋は1988年に提案された橋梁形式であり、1994年に小田原ブルーウェイブリッジに建設されて以来日本でも数十事例があります。よって施工時点で特別新しいわけではなかったかもしれませんが、それでも1908年から80年後の技術力をもってすれば、これだけ構造をスリムにし、より安全なものが作れるようになったという対比を見ることができました。

この三橋を一度に見比べることで、非常にさまざまな知見を得ることができました。特に雪も多く、洪水もよくおこるような過酷な環境であっても、100年以上に亘って地元を支えるインフラとして現役であるという点にはただただ感動しました。同時に自分はどういった形で数百年先までを見据えた人々の生活を支える土木に関わっていけるか、いくべきかを改めて考えさせられました。