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つぶやきについて。

SNSには興味がなかった。パソコンも持っていなかったし、とにかくおれはネットに疎く、知らないひとと顔を合わせずに交流することがなんだかとても怖く感じていた。

30代半ば、中1からの友達が脳梗塞になった。いつも一緒に漫画を描いていた友達は、右半身の自由が効かなくなり、絵を描くことはおろか話すこともできなくなってしまった。

おれが学校でいじめられたとき、みんなに無視されたとき、みんなに死ねと言われたとき、友達は何も言わなかった。何も言わずにそばにいてくれた。一緒に帰ってくれたんだった。道中やっぱり友達は、何にも言わずに歩き続けた。いつも一緒にいてくれた。

今はもう何も言えなくなってしまった友達は、読むことは問題なくできるからってツイッターをやっているらしい。それでおれは一緒に漫画を描いてたときのペンネーム「石川どぶろく」でツイッターを始めたんだった。友達がふふふと笑ってくれたら、と。そう思って始めたんだった。そうだ、おれは、そうだったんだった。

なんで今まで忘れていたんだろう。

今ではネット上で知り合ったひとと直接会うことも普通になったし、なんでもネットで調べるし、なにか言いたい(語りたい)ときは、すぐXでつぶやくようになった。

おれはほんとうにバカだから、自慢したいときとか、なんだか頭が良い風な、耳心地のいいフレーズを思いついたときとか、賢いと思われたくて、すごいと思われたくて、ついついつぶやきたくなってしまう。いいねもリポストの数もやはり気になるし、媚びるつもりはないものの、やっぱ多いとうれしくなる。

でもそれがなんだろうか。結局いつかバカはバレるし、いいカッコしたところで何にもならない。どう思われるか、なんて気にしたところで振り回されて終わるというか、自ら勝手にジタバタ疲れるだけだ。ひとがどう思うかなんてコントロールできるわけないし、どう思うかはそのひとだけのものだ。

ふふふと笑ってほしいもエゴかな。でもそれくらい、思ってもいいかな。せめて一緒にいるってことを感じてくれたらと思ってしまう。おれはそれがうれしかったから。はたして友達はどうだろう、もしかしておれキモいかな?^o^

しばらく会っていない友達。近々連絡してみよう。

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