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近鉄5200系を追う旅を時刻表で振り返る(1)

関東ではほとんどお目にかかれない転換クロスシートを備えた車両。東海や関西ではJR、私鉄ともに快適な都市間輸送実現するのに欠かせない車両となっています。近鉄では1988年に登場した主に名古屋線急行で使用されている5200系がそれに当たり、一般通勤車の21m4扉であることに対して、5200系は21m3扉で扉間に転換クロスシートが整然と並ぶスタイル。名古屋と三重県主要都市とを結ぶ急行列車に運用されるわけですが、一部は大阪線にも所属しています。

しかし大阪線に配属されている本数は少なく、関西地区から名張、松阪、伊勢方面への長距離輸送に最適な車両である一方で、3扉転換クロスシートが故に混雑時の対応が難しく、大阪線所属の車両は必ずしも本来の用途として満足に活躍できているとは言えない状況です。

2006年8月5日、そんな5200系の大阪線での活躍を追うべく、東京から早朝の新幹線で関西入りしました。その時の旅を「近鉄時刻表2006年号」を見ながら振り返ります。当時のことははっきりと覚えていませんが、どこかのWEBサイトで5200系が充当される可能性の高い運用を調べていったのでしょう。

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10時前、京都経由で大和八木に到着。10:07発の準急(941列車上本町発名張行き)を待ち構えます。やってきた5205編成、後ろに一般車2両をつないだ6両編成です。5200系はそれまでの近鉄電車のイメージを一新する前面デザイン、同時期に誕生した3200系と同様に近鉄の新たなイメージとなる車両で、小学生のころ憧れたものでした。

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次のポイントまで時間があるので、八木で少々撮影タイム。2610系を先頭に副本線に入る青山町行き急行(925列車)。当時の大阪線急行は日中毎時3本のうち2本が青山町行き、1本が伊勢方面行きでしたが、現在は青山町行きのうちの1本が名張止まりとなっています。

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伊勢志摩ライナー23000系はまだ更新前の原型車です。時刻表によると難波発宇治山田行き特急(7003列車)で、伊勢志摩ライナーのマークはありません。運用が差し変わったのでしょうか。

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後ろにビスタカー30000系をつないだ上本町行き特急。この9年後に汎用特急の塗色がリニューアルされるとは想像できませんでした。

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11時頃、次の5200系を捉えるために大阪市内に移動です。待ち構えたのは今里でしょうか。青山町10:31発上本町行き急行(1024列車)、5206編成が充当。

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さてこの後、写真の記録によると天下茶屋での南海2000系ズームカー同士の区間急行の離合を狙って南海の撮影に行っていたようです。午後、近鉄に戻ります。

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14:30高安始発、上本町行き準急(4480列車)を駅外から。今度は5201編成。続いて河内国分へ。4480列車の折り返し、上本町15:06発榛原行き準急(1541列車)がやってきました。おそらくこの列車に乗車したのだと思われます。

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近鉄の4扉車には座席を進行方向と線路と並行な方向とに切り替えられるL/Cカーが存在します。近年では西武や京王、東急にも導入されましたが、その走りでした。しかし、座り心地は転換クロスには叶わないと思うのは私だけでしょうか?

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1541列車を八木で下車、ここからは記録も記憶もないのですが、おそらくその列車の折り返しとなる、八木16:52発上本町行き普通(榛原発4640列車)に乗車したと思われます。

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途中撮影地を求めて弥刀で下車したようです。通過列車待ちの間に構内踏切で撮影。いや、この列車に再び乗車したのかも・・・

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おそらく4640列車にそのまま乗って布施で下車。同駅の下り線側でアーバンライナーを通過待ちする河内国分行き普通(1861列車)を撮影。

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5200系撮影の最後は鶴橋。同駅18:22発の長距離列車である鳥羽行き快速急行(4821列車)。やっぱり5200系は長距離輸送が似合いますね。

以上がこの日の5200系を追う旅でした。"乗る"より"撮る"を優先した旅でしたが、ちょっとした情報を元に"乗る"を優先した5200系の旅を、もう帰京の新幹線で考えていたことを思い出します。それは次回。

取材日:2006年8月5日

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