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ボックスシート旅情、東武6050系がいなくなる日-それは区間快速から始まった

東武日光線新栃木以北への20400型の導入で、今後どうなっていくのかが気になる6050系。今でこそ栃木ローカル色の強い6050系ですが、従来は「東武快速」として都内と栃木、日光方面を結ぶ速達列車でした。

前回の記事「ボックスシート旅情、東武6050系がいなくなる日」

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東武快速の歴史は古く、昭和の時代から特急を補完する列車として、多くの観光客らを運んできました。転機が訪れたのは1986(昭和61)年から始まった野岩鉄道の開業。鬼怒川線新藤原から先、会津高原(現 会津高原尾瀬口)まで直通運転が開始され同時に6050系電車がデビュー。大半が6000系からの車体更新車ですが、一部編成は新造されています。

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1990(平成2年)年には会津鉄道の会津田島以南が電化されたのを受けて直通区間が延長、東京と南会津が東武快速で結ばれました。その時代が長く続いていたのですが、観光需要の変化や鉄道会社が取り巻く環境や輸送施策の変化などにより、2006年ダイヤ改正で朝下りを除く快速が新設された区間快速に格下げされました。

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新設当初の区間快速は東武動物公園以北(東武日光線全区間)で各駅停車となり、日中毎時1本設定されていた新栃木~東武日光間の普通列車を置き換え、輸送の効率化に貢献ました。一方で栃木以南の快速通過駅では1本増となったものの、日光・鬼怒川への所要時間が40分程度増加。観光目的以外の沿線利用についても利便性が低下する結果となり、あまり評判が良くなかったと思われます。

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2013年、区間快速にメスが入ります。栃木以南においては元の快速停車駅に戻されました。都心方面と栃木エリアの速達性は回復した一方で、これまでの60分毎の運転間隔から、日中については120分間隔と本数が半減されたのです。この時、6050系による快速の廃止フラグが立ったといってよいのかもしれません。

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現在南栗橋以北でみられる6050系の区間急行ですが、快速・区間快速が廃止される2017年改正までは浅草口でもみることができました。同改正前のダイヤでは、早朝の浅草への送り込み1本と夜間に新栃木へ帰る運用の1本ずつです。2013年改正までは夜間下りに2本設定されていたのですが、すでに夕ラッシュのピークは過ぎている時間とはいえ北千住での乗降に少々時間がかかり、準急時代の90年代などは積み残しも発生するくらいでした。

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また、早朝には浅草初発の下りに4両編成の東武日光行きもありました。この列車には朝方まで働いていたおじさんたちが、酒を持ち込んで宴会しながら帰宅する、そういった印象のある列車でしたが、2009年のダイヤ改正で廃止されています。

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このダイヤ改正は区間急行の設定区間が浅草~新栃木間に短縮された改正でしたが、上り会津田島発の区間急行・浅草行きも廃止されています。2006年改正で突如設定された同列車は、会津田島を18時08分に出発して浅草に22時40分の到着という4時間半ものロングラン列車。この列車が翌朝の浅草初発に充当されていたということです。

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6050系は宇都宮線にも充当されていた時期があるのですが、その話題はまた次回

【写真解説】
1枚目:2005年7月8日撮影 小菅
2枚目:青文字の快速幕の交換された時期 2006年2月12日撮影 新栃木
3枚目:区間快速が新設され、スペーシアの通過待ちが発生。2006年3月18日撮影 南栗橋
4・5枚目:2017年4月15日撮影 新藤原
6枚目:準急時代の夜間浅草発の6050系運用 2006年2月16日撮影 北千住
7枚目:浅草初発の東武日光行き 2006年8月15日撮影 松原団地(現、獨協大学前)
8枚目:会津田島発の区間急行 2006年7月1日撮影 会津田島 

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