沖田雅『先輩とぼく』感想

 この小説が1巻の時点で行き詰まりかかっているのは、読めばすぐ分かる。
 残念ながら、つばさ先輩というキャラクターの魅力・また先輩と「ぼく」の関係性萌え以外に、訴えかけてくるものが何もないのである。早々にクラスメイトや転校生という新キャラを大量に出してくるも、彼らを生き生きと動かせる物語を作ることには完全に失敗している。

 そもそもの問題点のひとつは、先輩と「ぼく」がすでに恋人であることだ。成り立ての初々しいカップルでもない限り、この時点でラブコメとして転がすのは並大抵の技ではない。実際、この作品からはラブコメ臭がおよそ漂ってこないし、そのうえ、男性的な口調で話し、常に余裕のある円熟した先輩の性格が裏目となり、ボトルネックとなっている。

 もっとも作者は、最初から「ラブ」を追求する気はなかっただろう。

 本作の致命傷は、特に先輩をはじめとするキャラクターたちにある。

 本作で、唯一「入れ替わり」に戸惑いを覚えているのは、主人公の「ぼく」である。しかし、「ぼく」の身体的違和感に格別の焦点が当てられるわけでもなく、「ぼく」の戸惑いも周囲の軽さによってさらりと流されてしまう程度のものでしかない。この戸惑い、思春期的な自意識の葛藤を面白おかしく展開すればコメディ寄りにもなるし、シリアスならばラブ寄りになるのだろうが、そもそも展開されないのでは「設定を活かせていない」と言うほかない。
 だいたいが、先輩の洒脱な性格と「ぼく」の乙女な性格とが、入れ替わりによってふさわしい身体を得るという筋になっており、何ひとつ違和感が生じない。これはこれで単発的にはギャグになろうが、やはりそれだけでは喜劇も続けようがない。
 やはり、かかる先輩の性格ゆえに、「入れ替わり」という話の根幹となる設定も、ストーリーにおよそ活かせていないのである。「入れ替わったことをどうにか隠し通す」なんて方向も取られておらず、当然のこととして登場人物全員に受け取られている。このように、先輩以外のキャラクターも飄々とした雰囲気である。そのために、「入れ替わり」が話の根っこにあったにもかかわらず、何の葛藤も喜劇もそこから生まれてこない。

 結局、設定とキャラクターが見事にかみ合わず、最初から話を続けようのない作品となってしまっているのだ。
 しかし6巻まで続いたところをみると、意外とその後持ち直したのかもしれない。とても続きを買って読む気になれなかったので、そこは分からないが、ともかく1巻読む限りでは以上の感想を抱いた。

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