5年間のトンネルの先

大学3年生からの苦悩、モヤモヤがやっと解消されたのでメモ。

「そもそも何で俺は大学院に進んだのか?」
「なぜ起業しなかったのか?」
「なんで今の道に進んだのか?何をしたいのか?」
今すぐ辞めたいと、この1年で何度思ったことか。寝れない、自分を責める5年間。何か進んでいる時よりも何もせず止まっていることがどれだけ苦しいか。今noteを書きながらも泣きそう。

時系列で整理。
全ての始まりは大学3年の就職から。

大学3年 就職活動

2019年、大学3年夏から始めた就職活動。よくわからないが、口が達者で面接やGDでは無双していた。周りよりも選考も進んでいて、完全に天狗状態。「早く内定もらって野球に専念したい。」そう思っていた。

しかし、なかなか内定が出ない。最終選考まで進んでも内定が出ない。焦った。周りが追いついて来た(この思考自体が間違い、傲慢)。ついに、手元に残っていた選考リストが0となり途方に暮れた。

そんな時、大学院という選択肢が見えた。
「そうだ、大学院に進めば、就活・野球・研究全てに専念できる」そう思い、決断した。決断すると早いDは全ての選考を辞退し、大学院への勉強を始めた。大学院の勉強も楽ではない、英語・研究内容・面接など、大学4年間かけて準備して来た強者に対して、私は半年の準備で立ち向かわないといけない。でも、俺なら出来る、I will.そう信じ込んで部屋に篭った。

しかし、そんな中誤算が2つ生じた。
一つは、起業への誘いだ。起業家の方から起業しないか?と話をもらった。心が震えた。元々地方創生や起業に興味があって、将来は起業するために、大学院・社会人とステップを踏んでいこうと計画していた。そんな中でこのお誘い。単細胞Dはすぐにのめり込んだ。粗末な事業計画書を作り、起業家に話し、合意を得て、契約へと進んだ。契約書にサインする時、私は手が止まった。脳裏には家族が思い浮かんだ(マジで)。なぜなら、「起業するならお前と縁を切る」と言われてたからだ。本当に家族と縁を切るのか?その恐れから、契約を保留にしてもらっていた。本気で悩んだ。

起きる度に、「やっぱり、起業か?」「やっぱり、大学院か?」「いや、今から就活も間に合うかも?」3日間で1周する心の迷いに吸い込まれていた。

「家族と縁を切るのか?そもそもそれは俺がやりたいことなのか?このまま進んで30歳になって、思っていたのと違うとならないか?大学院の勉強も休む暇は1秒もないぞ?」
完全に思考が停止した。そして、やはり家族との縁は切れない。そう思い、起業の誘いを断った。
しかし、心は起業、頭と体は勉強。嘘をつかない素直さを強みと思っている自分にとって、この状態はあまりに辛い。

ここから、Dは崩壊していく。。

大学4年 起業と大学院の狭間

2020年、起業を断り、大学院に専念!!
絶対合格するんだ!!

そんな時、第2の誤算が生じる。
コロナだ。

院受験の当時、ニュースもSNSも全て遮断して、朝から夜まで机に齧り付いていた。ある日、ニュースを見ると、コロナで世界中が大変になっていることを知った。(大学3年3月ごろ)何が何だか全く分からなかった。コロナ?野球の大会中止?引退?今後は新卒採用がなくなる?
目の前が真っ暗になった。

野球・就活・研究全てに専念するために大学院を選んだ。なのにコロナで野球は中止・強制的引退。意味がわからない。しかも、就活も大学院卒業する頃には新卒の枠が半分以下になる(今考えるとめちゃくちゃデマ)情報もあった。しかし、今更就活に戻れない。嫌な情報を見ないように、勉強を続けた。

6月ごろになると、遅く就活を始めた友達が内定をもらっている。一緒に起業しようと言っていた友達が楽しそうにしている。なのに、私は椅子に座ったまま。しかも、コロナで誰とも話すことはできない。完全に詰んだ。人生の選択を間違ったと思った。その瞬間張り詰めていた糸が切れた。気付いたら2日間ご飯を全く食べずに布団に入っていた。何も力が入らない。梅雨の時期ということもあり、外にも出れない。「何かがおかしい?」体や脳にも支障が出ていた。肋骨が痛みだし(肋間神経痛)、これまで記憶していた英単語が記憶からなくなっていた(うつ病の初期症状)。もう何もできない。周りは苦しみながらも人生を進んでいて、声をかけられない。自分は人生の選択を間違えたのだ。

ある日、呼吸が苦しくなって起きた、朝4:30だ。さすがにおかしい、兄に電話した。兄が起きる6時までずっと散歩をして兄が起きるのを待った。そして、6時に兄に電話して、道端で膝から崩れ落ちた。何を話したか覚えてないが、思っていたことを全て話した。兄からは「実家に一旦帰ったら?」と言われた。何も考えられず言われるがままに実家に帰ることにした。ここにいてもどうしようもないからだ。友達にも一度実家に帰ることを伝えた。「祖母が倒れたから実家に帰ることになった。」友に苦し紛れの言い訳をして福島を去った。

実家に帰って全て解決!!そうはならない。むしろ症状は悪化した。食事は食べるようになったが、全てに対して意欲がわからない。次第に味覚や嗅覚にも支障が出た。うつ病の初期症状らしいが、コロナと勘違いしていた。2020年6月のコロナといったら、未知なウイルスで治し方や感染経路まで全くわかってなかった。ただ、私の症状はコロナに近かった。家族に迷惑をかけていけないと部屋に篭った。食事だけ食べてあとは19時間寝る。そんな日々を2週間過ごした。

しばらくして、病院に行くこととなった。うつ病と正式に診断され、薬をもらった。どうなら脳のシナプスという細胞が溢れて、すっからかんになったらしい。回復するには、寝て、運動して、食べるという健康的な生活をするしかないと言われた。院受験の勉強をしなきゃいけない気持ちもあるが、活字を見ると吐き気がしてくるから、寝るしかなかった。親からは無理するなと言われながらも院に進まないといけないので、1日2〜3時間だけ勉強して、あとは寝ていた。

体調は悪く、万全の30%しか力は出せなかったが、何とか大学院を合格した。私は肩を撫で下ろした。「院も決まって、やっとこの負のスパイラルから抜け出せる」しかし、そうはならなかった。

合格したことで、体も回復してきたが、心には穴が空いたまま。そう、心は起業を指したままなのだ。

大学院生活スタート

2021年、東京は引っ越し、大学院生活が始まった。院の勉強をしながら就職も早めに始めて良い会社に行こう!とはいえ、一度起業を志した素直な心に嘘をつきながら就職活動している自分はやはり辛い。

東京に行っても、もがき苦しんだ。院は夜間であったが、午前中はずっと寝て、午後は散歩して、夜は授業。完全に敗北者の生活。グレーな世界に迷いながらも、何とか内定を獲得できた。安堵した。行きたい会社に内定をもらい、これで大丈夫!しかし、迷いの森はまだまだ奥がある。

大学院2年 インターンとNN

内定後はVCでインターンをした。VCとは起業家にお金を投資するお仕事であり、ビジネスの最先端を行く方々と毎日話す仕事。誰が見てもキラキラしている世界だ。起業が心に残っているDはもちろん興味津々でのめり込んだ。

インターン先の会社には非常に良く面倒を見てもらい、会食やイベントにいっぱい誘ってもらっていた。その場でも「起業しないのか?何をしたいの?貴重な人生の時間を使ってどうしたいの?」と言われ、心がチクチクする度に悩んだ。何をしたいんだ?どうしたら良いのか?

そんな中、イベント団体をに設立した。色んな理由はあるが、とにかく今できることをやってみようとイベントをした。全く思い通りに進まず、苦労したが、イベントは成功した、2日間で300人が訪れた。

その後も何度もイベントを重ね、全イベントで目標を達成した。しかし、心は全く満たされなかった。むしろイベントをする程、私は虚しい気持ちになった。これが本当にやりたかったことなのか?思い描く地方創生ってこれなのか?これで長岡を変えることができるのか?悶々としていた。周りの方々からは賞賛の声や他イベントのお誘いをいただき嬉しく思いつつ、心の蟠りは取れない。そして私は、社会人としての一歩を踏み出すこととなる。

新卒1年目

2023年4月、いよいよ、社会人という航海を出発。1日目から膨大な量の資料と研修で充実感を持つ日々を過ごす。やっと人生が始まった!そんな気がした。

没頭する日々を過ごしている、ある日インターン先の友達とあった。彼は優秀で、学生でありながら複数と企業で仕事をしている。彼から聞く話は全てが新しい。会う度に新しいことにチャレンジ姿に、いつしか目を見て話せなくなっていた。自分は仕事が始まったが、彼のような輝かしい毎日ではなかった。彼だけでなく、過去に出会った人々が公私共に充実していた。私は日々同じ作業を繰り返している。これは何に繋がっているのか?また迷いが生じる。

仕事もそんな簡単ではない。当たり前だ、1年目が出来ることなど限られている。迷いの心を持つ者が仕事をできる訳もなく、身が入らずミスを連発。いつになっても成長しない。上司に指摘されてもその通りだから何も言えない。心も体もボロボロだ。俺ってこんなに仕事できないんだ、いや、心がハマれば仕事はできる。上司や同期は優秀で、逆立ちしても全く敵わない存在。「そもそものポテンシャルが違う、学歴が違う、今の会社が凄すぎる」ドンドン醜い自分へと変貌していく。

この1年で3回心が折れた。辞めようとも思った。ただそれは、仕事がきついことも去ることながら、本気になれてない自分への言い訳であった。

なんて自分は情けない。隣の芝を羨ましく思いながら、自分の仕事を完遂しない。会社員に向いてない、この業界が向いてない、そもそも会社のレベルが違いすぎる。。。辛くなったら色んな人に電話で相談して、慰めてもらう。そんな自分も嫌い。生きれば生きるほど自分が嫌いになる。なんで?いつからこんな自分になった?鬱のせい?起業してないから?理由は不明だが、とにかく自分が嫌いだ。

モヤモヤが晴れた瞬間

2024年2月、友人の紹介で起業家交流イベントに参加した。400人規模でみんな起業家・起業志望でなんと輝かしいことか。VCインターン経験ということもあり、起業の相談を受けていた、本当は起業の相談を受ける資格など全くない臆病者であるのに。

そんな中、登壇者の方が「不安がある人は、その不安を言語化してそれを解消して行けば良い。起業したくて仕方ないという状態になったらやれば良い、悩むくらいならやるな」と言ってた。確かに何でこんなに不安なんだろう?と思い、帰宅後自己理解・分析を始めた。

大学時代から振り返り、何を考え、どうして今ここにいるのか、A4ノート1冊全てを使って書き殴った。過去の写真や動画を見返しながら、当時何を考えていたのか整理した。

そして、ある一つの結論が出た。
「これまでの考えが全て逆なのでは?」
・周りより頭が良いと思っていたが、実はバカ
・自分で道を切り開くのが得意と思っていたが、実は型やフレームワークにハマってないと不安
・地方に貢献する立場と考えていたが、実は地方に住んでいるだけで十分幸せ
などなど、、
考えが逆だなと気付いた。
何が逆?何で逆なんだ?と更に深掘りした。

過去の野球動画にその答えがあった。その動画は全く同じ球を3球三振している自分。周りからは呆れられ、救いようのない動画。見ていられない、立っているだけでも恥ずかしい。。。

いや、待て。本来の俺はこんなアホ丸出しなやつじゃなかったっけ?全く成長しないで、結果も出ない、毎日が失敗。でも、ハングリー精神は誰よりもあって、今日こそ周りを見返すと手の皮が何重にも剥けるまで振っていた。朝6時から夜10時までバットを振り続けていた自分。正直全く可能性を感じない、でもなぜが日々に充足感があった。何でそんなバカなの?当時の自分に声をかけるとしたら「センスないから野球辞めてビジネス始めた方が良いよ」って言いたい。

違う、このバカこそ本来の俺ではないのか?全くできないけど、何とかしたくて暗中模索をしている自分。そうだ!俺はバカだった。気付いた。
でも、何で大学の頃はバカと自覚して必死にもがいていたのになぜ今は闘争心がないんだ?  
それは心の立ち位置が違う。当時は上を見て見返すと思ってた。今は人を下に見下して批評家となっている。

ここだ。この心持ちがおかしい。
でもなぜだ?いつからこのマインドに変化した?

その全ての始まりが1番最初の大学3年の就活に戻ってくる。

終わりの始まり。

冒頭に話したように、大学時代の就活は無双していた。元々自信家で想いが強く、面接官からは好かれていた。でも、話すことは夢物語で具体的な部分がない。良いところまでは選考が進めるが、内定までは続かない。大学院に進んだのも、その現実を受け入れないための一種の逃げであった。しかし、私は調子に乗っていた。別に内定もらえるけどあえて茨の道を選んでいると言い聞かせていた。

その後の起業、大学院もそうだ。
そもそも、ビジネスに関しては能力0なのにお誘いを受けたからといって何で選ぶ立場であると勘違いしていたんだ?

しかし、この選択は本当に難しい、当時にタイムスリップしてもメンタルを壊していたと思う。一旦起業を調べる時間を取る?両方やる?どの選択をしてもメンタルが起業に向いている限り難しい。かと言って、起業に振り切るほど度胸のある男ではない。強いて言えば、将来像からロードマップを描き、自分と同じ状況の事例を探しながら選択することが最善だろう。

問題はその後だ。
大学院ではMBA、インターンでは起業家を見極めるVC。まだ中身がないDが人を評価する立場に回っていた。周りの優秀な人の意見を参考にしながら、話す方々のマイナス部分を見つけるのが癖になっていた。自身は実際もスキルも全くないのに。

また、立ち上げたイベントもなぜか成功した(一応成功ロジックはあるが、志が定まっていないため中途半端な成功で止まる)。上手くいくことで自分は間違ってないと思い、無意識的に人を上から目線で評価するようになっていた。改善点や見極める観点は重要だが、自分が上であると思うのは誤り、成長は止まるし、人からも好かれない。

そして、社会人となり職業柄、外部から支援する立場となる。繰り返すが自分にスキルがないのに人にアドバイスする立場となる。(仕事内容ではなく、自身のマインドセットに問題あり。)

今気付いた。
自分には何もないと。
周りの凄さに引っ張られ、自分の無知に気付かず人を批評していた。努力をせず、表面的な理解で誰かからのアドバイスを使い回すだけ。自身の武器となっていない。 

あー、そっか、そうだったのか、
自分はバカで物事の型を学ぶために大学院、社会人に進んだんだ。起業はいつでもできる気分でいた。確かにいつでもできるが、自分で切り開くタイプではない。いつしか、自分は路頭に迷い、生活はできるけど何か違うと思う日々だったと思う。(どっちの道が正しいかは不明、そういう話ではない)。

何で型を学ぼうと思ったのか?
それは16年続けた野球に遡る。
小学の頃は何でもできて、センスと力で小学生にしてはスーパーな存在だった。もちろんすぐに天狗になり、周りのアドバイスを聞かず、結果を出せば良いと思っていた。中学生に進むと実力が露呈され、周りのアドバイスを聞いても基礎ができていないから、その日によって成果が全く異なる。90%が全く上手くいかず、たまにめちゃくちゃ上手くいく日々が10年続いた。型を身に付けずに勝手にやっていたため、イップスとなり何年も苦労した。

おそらく、起業して多少うまくいきら野球と同じ状態になると思う。調子に乗って、周りに耳を持たずに上手くいってるからこれで良いと信じ込む。我流を作り、数年後に上手くいかなくなる。何とかしようとアドバイスを求めて色々改善しても土台が出来てないから崩れてしまう。野球と同じ未来が見える。

・若いうちから挑戦した方が良い。
・起業するなら早い方が良い。
・やってみないとわからない。
・同年代にはもう上場して理想を叶えている人もいる。
どれも事実だ。だが、Dという人間には当てはまらないと思う。理由はこれまで述べたように型ができないと路頭に迷う人間だから。もちろん、上で述べた事実は正しいと思う。

ただ、自己理解した結果、導かれた結論は異なる。型を学ぶ時間だ。

もしかしたら今の結論が誤っていて後悔するかもしれない。その怖さは今でもある、でも、納得している自分がいる。5年かかったけどバカを受け入れてまた今日を頑張ろうとする自分がいる。それで十分なのでは?むしろ暴挙に走って人生を投げ出し、路頭に迷ってないだけで十分よくやっていると認めたい。

地に足が着いた感覚がある。
謙虚に自信を持っている自分がいる。

視野が広くなり、落ち着いた自分がいる。
人に優しくなり、誰に対しても感謝、尊敬している自分がいる。

知足。

これからまたこれまで同じ生活に戻る。
でも、それは同じではない。
無知を認め、周りを尊敬し、日々を懸命に泥臭く生きる生活だ。上から見下すのではなく、下から見上げるように。

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