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『あかり。』 (第2部) #44 海辺の恋・相米慎二監督の思い出譚

伊豆だったと思う。
赤い灯台が埠頭の先にある。こじんまりとした海辺の町だった。
防波堤に二人が座っていた。
それだけで『恋の予感』がした。
Mさんの切るアングルには品があり、俳優部二人は絵になった。
これだけで十分だなあ……と海風に吹かれていると、相米監督が演出を始めた。

「安藤くん、どうすんのよ」
「え?どうしますかね」
「やってみ」
「はい」

今回の俳優は、安藤政信くんと奥菜恵ちゃんだった。
安藤くんは北野武映画でデビューして、人気になったが、テレビドラマ的な芸能の世界にはうまく馴染めないタイプだった。
奥菜恵は、十代半ばから天才肌的なセンスでやってきていた。
二人とも、監督のような演出に飢えていた頃だったと思う。

誰でもそうだと思うが二十歳過ぎて、大人に大人扱いされると嬉しいものである。そういう心理を監督はうまく操っていた。

当時の彼らが大人かどうかは別にして、大人的なものへの内心の反発や、この世界、こういうものなのだろうか……と少し残念に感じていた気分、それが感じられたし、芸能界に限らず、物事がルーティンに過ぎていくのを若い人がなんとも思わなくなったらおしまいだ。

監督にはルーティンはない。
だから、彼らは監督を見る。話を聞く。
普段感じていたストレスを解消しようとする。それが、内面の芝居に反映される。自由にしていい、と言われて、やれなかったら、指示待ち俳優に成り下がる。
これは、やり甲斐はあるが、問われることになる。

もちろんCMだから短いセリフはあるのだが、あったとしてもそこから自由になり、その前後の芝居をセリフに頼らずに作る。

二人ともすごく工夫していた。
監督が見守り、二人がお互いの出す感情のカードに合わせて、楽しそうに演じていた。と、書けばもっともらしいが、普段の仕事で感じていたモヤモヤを吐き出すようにしていて、それを監督が受け止めていたのだと思う。

演じることは自由なことなんだぜ、と監督が言葉にしないで語りかけ、俳優たちが、じゃあこれはどうですか?と動く。当然のように尺はオーバーしていった。
まだ尺を詰めるのは早い…とは思うものの、できれば監督が「OK」という前に、それは言いたい。そんな小さな葛藤を胸にストップウオッチをこそこそ押す。

付き合い初めの微妙な距離感、人生に感じている漠然とした不安、恋する気持ちは永遠ではないと感じている内心。そんなものが自然とこぼれ落ちていく。

監督が俳優を演出することに関して、向き合うことの当たり前に、ひたすら感心していた。仕事だから当然と取ればそうなんだけど、映画監督にとってCM撮影は羽休めにしか過ぎないはずだ。
なのに、なんでこんなに俳優に向き合うのだろうか・・・。

灯台の上に二人がいる。
カメラは遠いところから望遠レンズで狙っている。
時々、無線を通して二人に話しかけていた。二人は、その遠隔演出に楽しそうだった。

珍しく離れたところから俳優を見ているわけだが、モニターを覗く監督の目は真面目だった。難しい顔をしていたわけじゃない。真面目に笑っていた。
フィルムはずっと長回ししている。
二人の感じができてくる。(ただ、イチャイチャしているだけなんだが)
「言え、いま言え!」
監督はモニターの中の二人に話しかけていた。

「好き…」

それだけのセリフだ。それを撮るためだけに、ずっとカメラを回していた。
その横顔を盗み見ていて、僕は少しばかり感動する。

それは僕たちの生きている世界を少しだけ認めてくれたように思えたからかもしれないし、監督が気に入るいい絵が撮れていることの嬉しさだったからかもしれない。

海辺の恋は、ちょっと恥ずかしくて、切ない感じがする。空に海鳥が鳴き、波が防波堤に寄せる。

俳優たちを乗せた船を別の船から撮っていると、波が大きくカメラ船を揺らした。
カメラマンのMさんは、クレーンを船上に乗せると言い張り、アームの先端に乗った大きな体が海に突き出されている。
遠くから見ていると、事故が起きないかハラハラする。
でも誰も止めない。
とにかく海に落ちないで・・・と祈っていた。

やがて、めんどくさい漁師が船で横切る。邪魔しにきたのだ。
こちらは漁協に許可をもらって撮影しているのだが「そんなことは俺は知らねえ。誰に許可もらって勝手にやってるんだ」と暴れ出す。
海はあんたのものか?と言いたくなるが、制作部がひたすら謝る・・・も、埒が明かない。しばらくすると船の上同士で、制作部と漁師の喧嘩が始まった。

離れたところで言い合いしていても、仕方ないというか間抜けである。僕はプロデューサーをチラリ見るが、静観。制作部に任せている。
監督は全く気にせず、俳優と芝居を作り始める。その向こうでは漁師と制作部が激しく怒鳴り合っていた。

監督は、そんな小さな揉め事は『お前らでなんとかしろ』とばかりに無視していた。

後日、映画『魚影の群れ』の時の、漁師たちとの付き合い方を面白く教えてくれた。
「結局、三楽オーシャンなんだ、あいつらは」と監督は笑いながらグラスを傾けた。
「え?」
「それを飲み続けるんだ、あいつら。強えんだこれが」
「へえ…そうなんですか」
三楽オーシャンとは安ウイスキーの代名詞である。
そいつを持って、一緒に飲み続け、じっくり時間をかけて仲良くなるらしい。なぜか、漁師は三楽オーシャンが好きなのだと監督は懐かしそうに言った。

後に、自分でも漁港で撮影した時は、自戒をこめて制作部に、このエピソードを伝え、二週間前から漁村に張り込んでもらった。それは素晴らしく功を奏し、実に撮影はうまく行った。ただ……酒は三楽オーシャンではなくて
「今の漁師はスーパードライを飲みます」
「え?そうなの」
「ドライをガンガン飲むんです」と、制作部のI君は力強く言った。
「そうかあ」僕は天を仰いだ。

監督・・・だそうです。


で、その時の撮影は、漁師とは陸の上で決着をつけることになり、制作チーフが拉致されていった。
その隙に、監督は、まんまと妥協することなく撮影を済ませた。
役者が一枚も二枚も上であった。

今でも、あのときMさんがクレーンの先端でカメラを覗きながら、海に突き出された勇姿(笑)を思い出すことができる。

あれはなんていうか……カメラマン(撮影者)として実にかっこよかった。

でも、Mさんは、自分があんな危ない状況になってたなんて見えてなかったんだろうなあ。

ちなみに、監督が禿げたのは、ご自身曰く「魚影の時だな。あれで禿げたんだ」と何度も直接聞いた。本当だろうか。
北の潮風だけではなくて、あの映画(『魚影の群れ』)の肝の座った全ては、当時の青年監督を禿げさせるのには、十分な力作だったことは間違いない。

それくらい一途な映画だと思う。

そして僕は未だ禿げておらず、むしろ『翔んだカップル』を撮ったときの相米監督くらいにボサボサの長髪になってしまった。
やれやれ。それが人の器というものか。




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