『あかり。』第2部 S#75 浮世の監督・相米慎二監督の思い出譚
浮世という言葉がある。
世俗的とか通俗的とか、多分その中に含まれる。
監督と一緒にいると、いつもそういうものとの距離を考えることになった。
何年も、もしかしたら何十年も甕で寝かせた紹興酒を飲まれたことがある人はわかるだろうが、紹興酒などどちらかというと上品な酒ではない。庶民の酒だ。それが、時間を経ると、とてつもなく上品な味わいに変わる。
ただ、甕の中で静かに寝ていただけなのに、である。
僕はときどき、そういう妙味を味合わせてもらった。
酒の飲めない僕でも流石に違いがわかる。
「美味しいですね」
「まあな」
「監督、これは高いんだからそんな飲み方しないでもう少し味わってくださいよ」と、店に連れてきてくれたHさんが苦笑いする。
監督は、貴重で上品な酒を安酒のように飲む。
「甕の中にはいくらでもあるだろう」
監督はまったく気にしない(自分で払うわけではないからだ)。
それが、監督らしかった。
洗練された中華料理の皿も、町中華の皿も同じように扱う。食べる。
そこに選別する浅ましさがない。
監督は、料理に対してものすごくうるさいが、出てきたものに対しては公平だった。
「男が美味い、不味いを言うな」
一番言うくせに、僕らにはそう言って、口に次々と放り込む。
夏に熱いものを食べたりするのも好きだった。
鍋物を食べたいと言ってみたりする。四谷の鍋屋や、駒形や森下のどぜう鍋は夏の定番のようだった。
暑い暑いといつも文句を言いながら、冷房が嫌いだった。
酒席はたいてい、浮世そのものだった。
結局、生きるとは、そんなものなのだろう。
世俗と通俗にまみれて少々濁った水の中でも、泳いでいかなければならない。
そういう大切なことを教わったはずなのに、僕は監督のいなくなった浮世で、教訓を生かすことはできなかった。
まずは、もう一度、安い紹興酒から始めてみなくてはならないのだろう。