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非モテ女子の恋愛社会学

ゆうです。
うちのゼミの先生は社会学の教授なんだけど、若者の生態も研究していて、とくに恋愛行動に関心をもってるようなキモい人なのね。

あたし自身は恋愛に関してオクテで、いわゆる非モテに分類されるタイプ。でも、恋愛経験値が少ないからこそ見えてくることもあると思ってて、恋愛について先生と意見交換したりもします。

そのなかで考えたことなどをみなさんと共有したいと思います。

若者は、ここでは 10代後半から 20代まで(ギリ 30代)を含めますが、今どきどれくらい恋愛していると思いますか?
先生の調査では、「現在特定のカレシ/カノジョがいますか?」に「はい」と答えたのは 17%だそうです。

この数字は年々下がってきていて、先生の言い方を借りると、今どき恋愛は流行らない。コスパが悪すぎるから。

まあわからなくもないけどね。
時間とお金と心身を使うわりには、得るものが少なすぎる。(と彼女ら彼らは考えている)
そこにツッコミを入れるのはひとまず置いとくとして。

そのデータにあたしが思うことは 2つあって、ひとつは 17%ってびっくりするほど低くないよねってこと。
「モテ系と非モテに二極化している」なんてわかったようなことを言う人もいるけど、そんなの昔からそうだったでしょ、って思う。
恋愛 ”ブーム” の最盛期(1980年~90年代らしい)でさえ、恋愛とは一部のイケてる男女のみに与えられた特権みたいなものだった。
それ以外の大半の男女は、出会いがないか、誘う/誘われる勇気がないか、
そもそも自分事と思っていないか、あるいはそれら全部だった。

もうひとつは、その 17%の人たちは恋愛してないだろうな、ってことです。
「付き合ってる」テンプレートをトレースしているだけなんじゃない?
今どきのテンプレートがどういうものかはよく知らないけど(笑)
たぶんネットで調べたデートスポットを何ヶ所かやっつけた後、一人暮らしの自宅かホテルに連れ込むパターン。以降、ルーティーンのローテーションモードに入る。

その一連のプロセスを否定するつもりはないです。ただ、恋愛というのは、パッケージ化されたイベントをこなすことじゃなくて、そのプロセスのなかで互いを知り、違う部分も含めて認め合いながら、2つの魂を極限まで近づけて一体化させたいと悶え続ける営みだと思うのです。

あたしがカレシを欲しないのは、今どきの「付き合う」はつまらないと諦観しているから。
「現在特定のカレシ/カノジョがいますか?」に「いいえ」と答えた 83%の人たちもそう感じてるんじゃないかなぁ。

恋愛ではなく、テンプレ化した「付き合う」だったら、代替可能なものがたくさんあるんだよねえ。同性の友達と遊んでるほうが楽しいし、そのほかのサードプレイスもあるし、推し活、パパ活、ホストクラブ通いでもいい。

むしろ 83%サイドのほうが気儘に楽しく過ごしてるのかもしれないね。
「コスパが悪いから」なんてアタマの悪そうな理由なんかじゃなくて、普通の人と普通に付き合うのは「ダルい」と見抜いていて、カレシなんかいたら「ウザいだけ」って思ってるのかも。
カレシよりも、役割と関係性があらかじめ決まっていて、普通の人より遊びを心得ていて、お金で清算できるパパやホストのほうがラクだし楽しい、と割り切っている。

そこで、問題は「普通に付き合う人」がつまらなくなったことにある、と考えました。
その原因はいろいろあるんだろうけど、つまらない仕事に追われてそれ以外のことに夢中になれず、楽しい会話もできず、デートプランもネットで検索することしか思いつかないような人をイメージした。

この問題を掘り下げていくと結局、つまらない社会になってしまったから、というおなじみの話に落ち着くのよねー。

一方で、普通じゃダメなの?とも思ったんだ。
気前のいいパパや、顔のきれいなホストのような「持ってる人」じゃないと付き合う価値ないの?って。
財力・容姿・話術は普通だけど、自分に関心を寄せてくれる人や、一生懸命話を聞いて理解しようとしてくれる人っていると思うのね。
たとえば。
「彼」が「あなた」をデートに誘ったとしましょう。
彼が選んだ場所は次の 3つのうちのどれかです。
1. 今カップルに人気のデートスポット10選から
2. カフェ巡りが好きなあなたが知らないカフェ
3. 彼の好きな画家が個展を催しているギャラリー
あなたはどの選択に彼の本気を感じますか?

1を選ぶ彼も、1に行きたいあなたも、恋愛してないと思う。
2は、彼があなたの好きなことを理解したうえで、彼自身もそれに関心を示そうとしている。
3は微妙だけど、彼が自分のことを知ってほしいという意思表示で、2と同じく恋愛のプロセスを踏んでいる。

あたしにとって恋愛とは、ふたりだけの世界に没入してナンボなんですよ。
さっきの例題で言うと、2のカフェで、一日中語り合ったりボーっとしたりしてふたりの空間を創造すること。3の画廊で、興味ねーと欠伸しながら、この人はなんでこんな絵が好きなんだろう、と想像を巡らせているうちに、彼をもっと知りたくなる瞬間のこと。

カレシ/カノジョがいる 17%は、テンプレどおりの “ごっこ” で恋愛してる気になっていて。
いない 83%はさらに先を行ってて、普通に付き合うのがつまらないとわかっているから参入する気がない。

これって、恋愛の終焉?

かもね。
すでに恋愛は、小説や映画といったフィクションの世界でのみ描かれる虚構なのかもしれない。
そもそも恋愛とは、少子化対策などの社会政策や、需要喚起などの経済政策としての、政府と企業とメディアが結託したプロパガンダだった面もあるんだろうし。

本来の恋愛は社会学的にはもう破綻していて、マーケットを介した似非恋愛に堕してしまった。
そんな時代に生まれたことを憂う。
でも、あたしはまだ終わらないよ。
ごっこでうれしがるほど器用じゃないけど、虚構世界に閉じこもるほど達観してもいないからね。
時代が恋愛を復権させるそのときまで、せいぜい足掻いてやるよ。

人間にとって恋愛はかけがえのない何かです。
あたしはそう信じます。
恋愛経験が少ないからこそ、その唯一無二の尊さを知る者として。
愛を知る県に生まれし者として。

さあ来い、非モテの時代。