見出し画像

移民問題を本音で語ったら極右認定されました

日本に一時帰国するたびに、年々外国人のプレゼンスが高まっていることをヒシヒシと感じます。
外国人観光客の増加はさておき、日本で普通に暮らす外国人が増えている。つまり、移民のことです。

私が住んでいるジュネーヴ市は移民だらけで、私もその一人です。居住者としての体感で、人口の 60%くらいが移民(=非スイス人)だと思います。
この程度で驚いてはいけません。
私はドバイに住んでいたことがありますが、この首長国では人口の 85%が移民(非UAE人)でした。これは統計データで、体感ではもっと多いです。

さて、日本では「移民」にあまりいいイメージがないですよね。
人手不足を解消するためのレイバーだったり、社会福祉にタダ乗りするだけのフリーライダーだったり、あるいは単に日本の治安を悪化させる存在とみなされている気配です。
メディアがそういった印象を植え付けている部分もありますが、メディアによる印象操作を抜きにしても、移民を快く思っていない日本人は一定数いると思われます。
それはごく自然な感情だと思います。

スイスだけでなく、フランスやドイツなどヨーロッパ諸国において移民問題はトップイシューです。
ヨーロッパへの移民は年々増えていて、移民に対するネガティヴな国民感情もまた年々高まっています。各国で極右勢力が台頭しているのはその表れです。

そもそも、移民はどうしてヨーロッパに住みたいのか?ヨーロッパ諸国民はなぜ移民を嫌うのでしょうか?
ヨーロッパの移民は、おもにアフリカ大陸と中近東から来ます。
そりゃ “難民” だろ、と思われたかもしれませんが、難民も移民の一種です。

彼らが移住先としてヨーロッパを選ぶ理由は、
第一に平和だから(戦争や紛争がなく、政治的に安定)
第二に経済の安定(職があって十分な収入が得られる)
第三に社会の安定(インフラが充実、人々の民度が高い)

彼らの出身国はそれらの逆です。
戦争や内戦ばかりやっているか、圧政に苦しめられているか、職がないか、単に貧しいか、インフラが整っていないか、人々の民度が低いか、あるいはそれらすべてを兼ね備えている。

こんなことを言った人がいます。

世界は3つのカテゴリーに分類される。
ヨーロッパと独裁国家と貧困国である。

さすがにヨーロッパを美化しすぎだと思いますが。

日本がどのカテゴリーかはさておき、上に挙げたヨーロッパの「安定」をすべて満たしている国であることにお気づきでしょうか。
そして、日本にやって来る移民の出身国がそれらの逆であることも。

先の問いの「ヨーロッパ」を「日本」に置き換えてみましょう。
移民はどうして日本に住みたいのか?
日本国民はなぜ移民を嫌うのか?


私の note記事を読んでくださっている方は、「世界の普通から」はリベラルだと思われているでしょうね。それは概ねそのとおりです。
ただ、「リベラル」という言葉はパターン化された政策パッケージに矮小化されてしまうところがあって、ミスリーディングなんですよね。
例えば、憲法改正に反対とか、原発反対とか、そういった個別のイシューについては個別の考えがあるわけです。

私は政治に関しては自由主義的・個人主義的で、経済に関しては社会主義的で、社会や文化や人のあり方については保守的なんです。
わけがわからないですか?
私のなかでそれらは整合しているんですけどね。

例えば、個人の自由を重視しながら保守的とはこれいかに?
国家権力というある種の装置というかシステムは、人間の自由を抑圧してはならないと考えています(こういうところリベラル)。
一方、社会の慣習やコモンセンスというやつには長年培ってきた知恵があるはずで、それを否定するのはバカげている(こういうところ保守的)。

以上を踏まえ、もうお察しかと思いますが、私は移民の受け入れには懐疑的です。
ヨーロッパの人々がアフリカや中近東からの移民を嫌がるように、日本人が民度の低い国や地域からの移民を嫌がるのは当然だと思うのです。
生理的な嫌悪感などではありません。日本人が共有する礼儀作法・行動様式・モラルが破壊されること、民度の低下・社会の劣化が嫌なのです。

私は自分を「リベラルな保守」だと考えていますが、強調しておきたいのはどちらも ”イズム” ではないということです。
リベラリズムではなく「リベラル的」であり、保守主義ではなく「保守的」にすぎません。

また、私はグローバリズムに反対です。
「地球市民」など幻想でしかないし、グローバル化こそが人々を不幸にする諸悪の根源だと考えているからです。

この島国が 200年以上も鎖国していた意味を噛みしめたい。
近代化以降も、敗戦後も、外国人の流入を制限してきたおかげで今の日本がある。それは、独自の文化や共有の価値観、そして世界屈指の治安の良さと民度の高さです。それらを守らないでどうするんですか。

あーあ、とうとう本当のことを言ってしまった・・・。


社会という危険な舞台で、最もやってはいけないことは、本当のことを言う行為です。
理由はおもに2つあります。
1)  「本当のこと」というのは、強い意味を持つので、攻撃性を帯びて一部の人を傷つけてしまうことがある
2)  本当のことを言いたくても言えない人々の反感を買う

なので、ここに書いたことは社会的にはタブーとされます。
そんなことはわかっていたのに、私はやってしまいました。
あれは、ちょっと変わったシチュエーションでした。最初は 1対1 で他愛のない話をしていたところ、一人、また一人というふうに会話の輪が広がっていきました。
ついに 10人近くになったでしょうか。知っている人も、よく知らない人もいました。
すると、知らない人の一人が移民問題について語りだしたのです。
彼の話はダラダラと長いばかりで、意識が遠のく感覚に襲われました。
いつのまにか、その問題を私が語っていました。自分でも信じられないくらいの本音モードです。
いつもなら空気を読む私が、皆がドン引きしていることに気づきませんでした。

語り終えて、仲間の一人が「おまえってそういうこと言う奴だったんだ」と真顔で言いました。
他のメンバーも呆れ顔で口々に言いました。
「まったく同意できないな。残念すぎる」
「血も涙もない奴。見損なったわ」
「レイシストかよ」

え?
ちょ、ちょっと待ってくれ。
人種差別とかそういうのじゃないんだ。文化の異なる者どうしが衝突したらお互い不幸になるって話で・・・日本で暮らすなら言葉とか振舞いとか同化すべきだって話で・・・ありゃー!それも言ったらアカンやつか!
どう言えばわかってくれるんだよー!!

はっ・・・・!?


文化の異なる人たちと交流するのはいいものです。
それは刺激的で、学びに満ちていて、何より楽しい。
でもそれは、平穏な日常における “祭り” のような非日常であり、それが常態となることが幸せだとは思えません。

私は、人生の半分以上を異文化のなかで過ごしてきました。
外国人ID(パミット)を常時携帯する「移民」です。
自分が選んだ仕事のせいでそうなっているわけですが、異国に住む外国人として幸福を感じることはありません。

グローバルなるものに憧れ、グローバルな人間になりたいと思いながら生きる場所を決めてきたけれど、今はグローバル化に顔をしかめる人間になっています。
世界がフラット化するのはつまらないと思うし、日本の良さが失われるのも嫌です。だから安易な移民の受け入れに私は反対します。
大企業の経営者など経済界の重鎮が、労働力不足を理由に、移民を積極的に受け入れるよう提言しているらしい。彼らはどこまで日本を壊す気なのでしょうか。

日本は、移民で成り立ってきた国とは違うのです。
この島国は、石油や鉱物等の資源を輸入に頼りつつも、人という最も重要な資源 (human resources) を自国で賄ってきました。海に囲まれた地の利を活かして、外敵の侵入を水際で防ぐだけでなく、麻薬と性病と一神教の蔓延を抑制できてもいるのです。

柳井も三木谷も、中学に戻って歴史を学び直してきなさい。
 


(追記)
グローバリストは、いかにして「日本人」になったのか。