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おじさんによるおじさん考

おじさんがおじさんを批判するのってダメでしょうか。

私は年齢的にも外見的にも、れっきとしたおじさんだと自覚していますが、絶対にああはなりたくない「おじさん観」というものがありましてね。
それはひとことで言うと、虚勢を張る構えのようなものです。

私が見てきたおじさんというのは、8割方が会社員です。
会社員の基本的な構えって、
「できるだけ自分を大きく見せたい」
「私はひとかどの得意分野をもつ人材だ」
「とにかく私は精一杯がんばっている」
じゃないですか。

卑屈さとプライドと必死さが織り交ざったメンドクサイ人種なわけですよ。

この会社員モードというのは、年齢に関係なく、会社員歴 3年以上の人なら多かれ少なかれインストールされているものでしょう。
ただ、ある程度若いうちは、自信のなさと漠然とした恐怖感からブレーキがかかるようになっています。
それが年齢を重ねるうちに謙虚さが失われ、怖い人もいなくなってくると、ブレーキが効かなくなってきます。
そうやって会社員は無敵のおじさんになっていく。

そんなおじさんがやりがちな振舞いその1:
地位・権力・人脈を誇示する。
年輩者が昔の話ばかりするのは世の常。
若輩者はそれを機嫌よく聞いてあげればいいだけなのですが、よーく聞いていると、そこにはマウンティングが散りばめられていることに気づきます。
昔、〇〇人の部下を従えていた、とか。
昔、誰それとツーカーの仲だった、とか。
本人は過去の事実を話しているだけでしょうが、そこには無意識・意識的にかかわらず、今の自分を少しでも大きく見せたい、という願望が潜んでいるものです。

その2:
度量の大きさを演出する。
おじさんは、いくつもの辛酸をなめ、数々の修羅場をくぐり抜けてきた経験をもっているもの。
そんなおじさんが最も存在感を発揮できるシナリオは、経験の浅い若者をなだめるストーリーです。
うん、うん、お前の気持ちはわかるよ。この件は俺に任せろ。上と話をつけてやるよ。みたいな展開はおじさんの真骨頂ですよね。
おじさんが男気を見せる機会なんてそうそうありません。
おじさんは自分の存在意義として、若い衆にはない懐の深さと犠牲的精神を演じる物語を夢見ているものなのです。

その3:
退いているようで全然退いていない。
時代の変わり目や若者の意識の変化というものをおじさんは感じています。
彼らは、自分が長年培ってきた価値観と、新しい価値観にキャッチアップしなければならない焦りとの間で葛藤しているものです。
もはや私たちの時代ではない、後継する者たちに任せよう、という態度を示すのはよくあることです。
しかし、往々にしてそれはポーズだったりします。
ぶっちゃけ、おじさんは退く気などないのです。
だってそうでしょう。今まで自分を頼ってきたヒヨッコが自分を超えられるはずがない、と思い込んでいるのですから。


さて、ここまで描写してきたおじさんの特性は、日本人特有のものだと私は感じています。
もちろん、ヨーロッパ人にもおじさんはいます。
同じ惑星に棲むおじさんとして、日本人おじさんとヨーロッパ人おじさんには共通項もありますが、決定的に異なる部分があると思っています。
それが上に挙げた 3つの振舞い例です。

日本人おじさんの特殊性はどこからくるのか。
私はそれを自己肯定感の低さやある種の劣等感からくるもの、と考えていましたが、もっと強力な根本原因があると思い至りました。
それは、長年培われてきた先輩後輩カルチャーです。
ありきたりな結論でごめんなさい。

この問題は、男社会の醜悪さとしてすでに書きましたからね。
たかが入社年次で序列が決まるヒエラルキーや、「さん付け・くん付け・呼び捨て」の厳格な使い分けなど、日本特有のプロトコルのことです。

私は、その日本特有のカルチャーを否定する気はないんですよ。
先輩と後輩の関係というのは、スポーツ界やお笑い界だけでなく、日本のありとあらゆる業界に埋め込まれていて、それがうまくいっているケースはたくさんあるし、どこか美しいものでもある。
なので、そういった関係をなくすべきではないとは思います。
ただ、そんな上下関係が一生続くってどうなの?って思う。

例えば、25歳と 30歳はけっこうな違いがあるので、先輩>後輩と認め合うのは自然でしょう。でも、その 2人が 45歳と 50歳になったらもう対等でいいんじゃないの?と思うんです。

男たちには、いくつになっても昔の先輩後輩関係を堅持するのがカッコいいみたいな美学があるのかもしれません。
私も男ですが、昔の先輩後輩関係をいつまでも引きずっているほうがカッコ悪いと感じます。

私にも昔お世話になった先輩方がいます。
彼らに対する感謝と敬意は決して忘れませんが、今では対等な友人感覚で付き合っています。
彼らは私に対して、先輩風を吹かせるような態度を微塵も出しません。
だから、私は彼らを “おじさん” とは思っていない。


虚勢を張るおじさんは日本人だけなんですよ。
いつまで先輩ヅラしているつもりですか?
え?してないって?
後輩たちの態度をよく観察してみましょう。
彼らは、虚勢と真の人間力を見分ける能力が高いですよ。
人間力の高いおじさんは虚勢を張る必要などないのです。

誰だって「私はひとかどの人物である」と思いたいもの。
とくに男はね。
何十年もの間、勝つか負けるかの世界で生きてきたら、そうなっちゃうよ。
ひとかどの人間ってなんだろうね。
誰にも負けない強みをもってること?
私はむしろ、何ももっていない人なんじゃないか、と思うことがあります。

誰もが勝つことや成功を期待され、ナンバーワンやオンリーワンになろうとする。
そんなの所詮ムリだから、職場のような狭いフィールドでポジション取りを繰り広げる。
でもね。一緒にいたい人ってのは、そこにいるだけでいい人だと思うんだよね。

肩肘張らず。上も下もなく。何ももっていない。ただ淡々と生きている。
そんなおじさんが増えるといいな、と私は考えています。