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「ファンコット軍人」の誕生、そして「大日本ティッケー軍」の成立

こんにちは、大日本ティッケー軍の軍人です。

前回の記事で激しい自分語りをしてしまいましたが、
意外にも多くの知人が読んで下さったようで、嬉しい限りです。
ブロガー冥利に尽きます(?)

今回は弊サークル「大日本ティッケー軍」の成り立ちについてお話したいと思います。

まずはサークル名の由来からお話したいのですが、それにともなって、また私の昔話をすることになります。前回同様、苦手な方はここでブラウザバックをお願いします。

※ヘッダーは2014年秋頃渋谷で撮影された筆者の近影である。soundcloudのアイコンなど、長い間アーティスト写真としても機能していた


1.ことの発端 -DJ KUBUSが「軍人」と化した日-

まずはじめに、筆者(Gunji)は実際に軍人だったことはない。正確には、いわゆる「軍事組織」に所属したことがない。日本は防衛のための組織として「自衛隊」という部隊を運営しているが、筆者はそちらにも所属したことがない。

ただし、迷彩のジャケットを着ながら居酒屋で仲間と飲食をしていたら、隣のテーブルにいらっしゃった自衛官を名乗る方から

「お仲間ですか!?」

と声をかけられたことがある。「すみません、格好だけです」とお伝えした。

そういう訳で、筆者は「軍人」とは結びつかない人生を基本的には歩んできたつもりである。では、そんな筆者が「ファンコット軍人」と化してしまったのはなぜか。

2014年5月に遡る。
ファンコットを選曲するDJとして活動を始めた私は、ファンコットがかかるイベントに足繁く通い、諸先輩DJからさまざまな情報を得て、独自にファンコットの研究を積み重ねていた。

そうしているうちに、とある一人の先輩DJが、私にこう仰った。

「君は旧日本兵みたいな風貌をしているね!」

旧日本兵って。通常そこには辿り着くまいと思ったのだが、これにはひとつ事情がある。
当時私は、「学生の特権は髪型で遊ぶことだ!」と信じていたので、3ミリの丸刈りにしていたのである。

2014年5月当時の筆者 なんだそのポージングは

当時丸刈りの私のことをとあるDJ「日本兵」と称したことがきっかけとなり、私の預かり知らないところで、ある計画が立ち上がったのだ。

明けて6月。
私は渋谷ACID PANDA CAFEにて開催される定例ファンコットオンリーイベント「ENAK MONDAY」にて、オープニングDJを務めることになった。ブッキングをいただいた際に、イベントを運営していた先輩DJからこの指示があったことを未だに覚えている。

「カーキ色のズボンがあったら穿いてきて現場入りしてほしい」

指示通り、適当なTシャツと緑色のズボンを着て渋谷に赴いた。その言葉の意味は会場に到着してすぐにわかった。入店してまもなく、先輩DJからオリーブグリーン色のジャケットとキャップを手渡されたのだ。

皆が口を揃えて言う。

「今日から君はファンコット軍人だ!」

かくして、私はその日からファンコット軍人となってしまったのである。

平日イベントのオープニングDJということもあって、お越しになったお客様はさほど多くなかった記憶があるが、先輩DJ達が深緑色の服を着てDJする私を観て、やたらと楽しそうだったのを今でも覚えている。

(DJ当日の様子がこちら 緊張のあまり険しい顔をしている)

これまでミリタリー物にはあまり関心が無かったため、少し不安でもあったのだが、「ミリタリー系ではないけど名前がそれっぽい、漫画家の吉田戦車先生みたいなものだ」と捉えて、以後もファンコット軍人というキャラクターをDJで生かすことにしたのだ。

ちなみに私の本名はグンジと言うが、当時諸先輩に本名を周知していなかったので、これは偶然の産物だと私はとらえている。

2.「大日本ティッケー軍」の成立

時は流れて2015年、楽曲製作に一定の自信を得た私は、CDを製作して頒布しようと考えた。初めて製作したCDはたしか、手焼きのシングル集10部くらいだったと思う。(え、MR™️?)

2015年の秋には初めてM3にサークル側として参加した。ある方のサークルの売子を務めながら、自分自身でプロデュースを行ったCDを頒布した。経験を積んで、徐々に自信が付いてきた。

私は一つ決断を下した。
「次のM3で自分自身のサークルを作って、CDを作って頒布しよう!!」

こうして私はサークルを立てる決意をしたのだが、サークル名は独断で、一瞬で決めた。

それが「大日本ティッケー軍」である。

サークル名の由来について説明したい。
ファンコット軍人というキャラクター付けが出来ていた私は、サークル名も軍人に近づけたかった。旧日本兵イメージなら、さしずめ当時の「大日本帝国」の軍隊と呼称する方が、覚えやすいかもしれない(不謹慎)。「大日本帝国○○軍」とファンコットを象徴する単語を混ぜるとしたら、声ネタとして定着した「ティッケー!(独特の発音でDJと叫んでいるサンプル)」とするのが面白そうに感じる。それを踏まえて、語呂や発語しやすさを検討した結果、「大日本ティッケー軍」とした。

そして、登場付き合いのあった若きDJ達に声をかけて、各々がプロデュースするCDを2016年の春M3で頒布することにしたのである。

※当時の告知Tweet。自主制作CDの頒布に加えて、今やリリース作品の多さで圧倒する「Joe.K」様からの委託頒布も行っていた

ティッケー軍という名前の効果か、はたまたファンコットというジャンルの力よるものなのか、お陰様で初回から多くの方にサークル出展ブースにお越しいただき、予想する以上にかなりの数量のCDを頒布することができた。私はこれをもって、益々音楽活動に対する自信がついたのである。

以後、2020年春の開催までM3にサークル参加し、必ず新作CDを頒布していた。ジャンルはすべてファンコットである。

おわりに

いかがだったでしょうか。
現在はサークルメンバーの多忙やここ最近の過酷な情勢もあり、なかなか新しい頒布物を制作することができない状態でいますが、また近い将来、新しいコンテンツを提供できれば良いなと思っています。

今後とも「大日本ティッケー軍」から発した音楽を楽しんでいただけましたら大変嬉しく思います。

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