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理想主義者にチョコレートの箱を

DNFです。

先日zeta_plusplusさんがこのような記事を出しました。
もしよければ先にそちらをお読みください。
(読まなくても問題ないですが)

AV新法反対デモへのカウンターデモに行ってきた報告と感想(2022/05/22)


さて、最初に断っておきます。
真に情けない話ですが、私はAV新法の議論には参加しません。性的な描写や話が苦手な部分があるのですが話を追っていくとそれに触れないわけにも行かず……また、根強い男女論の強い嫌悪表現、差別表現に触れていくのも精神がもたず、これ以上は触れないこととします。

先の記事の冒頭に書かれていた、新法反対デモに"差別偏見が含まれていた"というお話のみ最初に少し語ります。


偏見と人権侵害

とあるライターさん……この方は「批判を受けるつもりでいる」というスタンスでいらっしゃったので名前を出しても良いのかもしれません。
しかし私はこの方の記事には目を覆いたくなるような表現がたくさんあったので(本人も注意書きしているように、フラッシュバックもありえるようなものもある)とても他の人にも見せたくもなく、私個人としてはご紹介することはしません。

その方の意見として「発達障害者への偏見だ」に対する反論がいくつかありましたので、その部分のみ取り上げます。

  • すでに人権侵害が起きている、偏見など言ってる場合ではない

  • ↑人権侵害を黙殺して被害環境を温存する気なのか

  • 当事者を傷つけることは分かっている、葛藤して書いている。


さて、
「偏見をやめることと人権侵害への訴えが何故共存できないのか」
(偏見をやめろと言っただけの人に「人権侵害を黙殺する気なのか」と話をそらして悪役に仕立て上げるのは何故なのか)という批判、疑問はありますが、それも含めて理解できるように要約すると

「正義ある革命のためには多少の犠牲は構わない(葛藤はある)」というスタンスであると読み取りました。多少の偏見くらいで被害者が出るわけでもないから取るに足らないであろう、という話なのでしょう。

率直に申し上げます。


この方のやり方はとても「現実的」だと思いました。

所感【■革命に「無血革命」などというものはまずない。革命は痛みが伴うものである。果たしたい目的があるならどんな手段も厭わずに選ぶ事が「現実的」。炎上マーケティングなり挑発、訴訟、なんでもあり。

大義を果たしたいのに、今回の主軸と全然関係ないことで噛み付かれたらウザいのは皆同じ。今そういう話じゃないから、となる。

自分の意見を通すためなら、そんな瑣末な事に振り返ってはいけない。自分の正義を通すためなら、どんな手段を用いても全力で臨まなければいけない。罪も無き弱者はいくらでも利用して、犠牲にして「現実的」な問題に取り組めばよい。
誰も犠牲にせず、弱者を利用せず、などと綺麗事ばかり口にする甘っちょろい理想主義者は本当に愚かである。■】





そして、私はその愚かな理想主義者なのです。

理想主義

理想論は時には「現実的ではない」と批判されます。私自身現実的な選択を自ら取るときももちろん山ほどあります。
しかし「理想を馬鹿にした現実主義」に私は未来はないと考えています。

理想主義は「空想家」のように誤解されることもありますが、理想は現実を超えて掲げられるもので、必ずしも実現されて実在性を帯びる必要はない、というものです。現実を見ていないわけではありません。

甘く現実の見えていないような理想論であっても、それを忘れてしまって現実的な目線のみに囚われることは「目標を見失う事に他ならない」と思っています。

だから私はいつでも、甘い、愚かな、理想論を胸に抱きます。


偏見や差別など無く、声をあげる事はできるのではないでしょうか?

手段は選ぶべきではないでしょうか?

目標を見失い、業界への復讐心に変わっていませんか?

そのように苦言します。

悪意は利口な生き方

私が、とある営業職でブイブイ(大げさ)言わせてた頃の話です。

お客様に購入意思を確定させるまでに……商品説明したことは、全体の一割程度です。購入意思が先に確定していても、購入が完了する前に商品説明や重要な説明を「コンプラ」であったり「誠意」として必ず行いますが、購入意思を決定づけるためだけなら、そういったものは必ずしも必要ではありませんでした。

極端な話を言ってしまうと営業職の人間は「全く知らない商品」でもスキルで売れてしまいます。(現実には説明を求められた時にアタフタするとまずいので、知らない商品を売ることはそうそう無いのですが)

つまり私は「やろうと思えば粗悪な商品や、自分本位な商品を売りつけることもいくらでも出来た」という事になります。幸いなことに私はノルマで困ったこともないので、粗悪な商品を売らなければいけないほど切羽詰ったこと自体がありませんし、自分が自信を持たない商品を売るのはプライドも倫理も許しませんでした。

一度だけ、同期が私より上の成績を付け(その人はゴリ押しして売るタイプだったのでクーリングオフが多かったが、最終成績は私より上になった)悔しくて私も「ゴリ押しなりなんなり、その人に本来必要なさそうなものでも買ってもらいに行くか……?」等と頭をよぎったこともあります。でも私は「自分の売り方」にプライドがあり、誠実な売り方だけでやっていくという理想を崩したくないと思っていました。

正直な話、その業界で私にスキルがあったのは天職だったかもしれません。お客様が「いい商品を買えた」とお得意様になってくれたり感謝してくれるというのはとても嬉しかった。粗悪な商品を売ったり、悪意ある行動で得た結果であれば、私の心は決して満たされなかったように思います。

理想と誠実さを捨てたら、周りの人間も、私の心にも、何も残らなかったでしょう。

理想と現実のバランス

私は自分自身の考えを正しいとは思っていません。
むしろ大いに偏ってると思います。
しかし私を含め、色んな考えを尊重しあう事が大切だと考えます

理想ばかり語っていては現実が見えてないのは事実。
現実的な事ばかり語っていれば目的を見失うこともあるでしょう。

理想と現実のバランスの"黄金比"を持つ事。
多様性を認めていく事が互いを成長させあう事に繋がるかと思います。

【人生はチョコレートの箱】

映画『フォレスト・ガンプ』で使われた話で、「空けてみるまで何か分からないから人生は楽しい」みたいなポジティヴな話で語られます。

実はこのチョコレートの箱の話は『X-FILE』でも使われています。時系列的にはフォレストガンプのパロディだと思われますが、意味が全然変わっています。

"チョコレートの箱、それは陳腐な贈り物。確かに美味しいものが詰まってるけど、それを後先考えずに貪り食ってしまえばすぐ無くなってしまって、役に立たない茶色の紙しか残らない"

美味しい利益を追求しても、残るのは虚しさだけなのです


私は食欲ではなく心を満たしたく、それには恥じない人生を送りたい。

私にとってそれは「甘い理想を掲げ」、「誠実に生きる」という事です



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