思い出すことなど(36)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1994年頃の話です...

(前回の続き)

「若い時」なんて言葉はあまり使いたくないし、今も十分若いと思っている(抗議は受けつけません)のだけれど、ここではあえて使おう。

若い時には「いいよねえ、若いって」「楽しいのは若いうちだよー」なんてよく言われたものだ。でも、振り返ってみると「嘘だったな」と思う。若いうちが楽しいのは、よほど見た目良く生まれた人か、誰が見てもすぐにわかる天賦の才に恵まれた人だけだろう。生まれつきとてつもなく歌がうまい、とか、とてつもなく脚が速い、野球がうまい、とかそういう人。めちゃくちゃ美形で、モデルから俳優になって、歌手デビューもしちゃう、なんて人であれば、そりゃ若いうちから楽しいだろう。

でも、普通、というか、普通よりちょっと下くらいの人間にとって若いうちは楽しいなんてものではない。とにかく相当な努力をしないと何もものにならない。当然、時間はかかる。時間をかけているうちに、若者はおっちゃんおばちゃんになる。努力が実って楽しくなった頃にはおっちゃんおばちゃんなのだ。若いうちは何もできない、何も持っていない、もてたりもしない。いいことなんてほんとない。

翻訳会社にいたのは、26歳から29歳くらいまでの間。若い人と言われる最後の時代かもしれない。何もない、何もできない、何も成し遂げていない、さえない若者として、毎日電車に乗って、会社に行っていた。

当時、CDウォークマンによく入っていたのが今井美樹のベスト盤「Ivory II」だった。日比谷線の車内でヘビーローテーションしていたのが「Bluebird」という曲だった。それを聴きながら、毎日のように「いつかきっと」と思っていた。今思い出すと「そのまま」でちょっと笑ってしまうけど。

今でも日比谷線に乗ると、車内や駅の様子が当時とあまり変わらないこともあって、一瞬にして四半世紀くらいタイムスリップする。「Bluebird」を聴いていた時の焦燥感もそのまま蘇る。でも、今の自分が、その時思い描いていた未来の自分とだいたい同じであることを思い返して、ちょっとほっとするのだ。「だいたい」だけど。こぼれ落ちたものもあると思うし、そっちが本当は大事だったかもしれないけど。がんばった俺えらい(コウペンちゃん)と思うこともあるけど、本当は若い頃からかっこよくてモデルになって...という人生の方が良かったなあ、とは今でも思う。

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