思い出すことなど(21)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。

(前回の続き)

予定どおり営業部に配属された私。営業って言葉は不思議だ。よく考えると意味がわからない。会社なんだから営業しているのは当たり前じゃないか。営業職、ってわざわざ言うのが変。営業していない職があるのかよー、とも思う。辞書(広辞苑)を引いても「営利を目的として事業をいとなむこと、また、そのいとなみ。商業上の事業、商売」などとある。ようわからん。ただ、なんとなく、誰かに自分のところの商品を「なあ買うてくれへんかー」と言って回る仕事というイメージがあった。そんなんできるんやろか。気ぃ小さいのに。皆さん、営業って言葉が曖昧だけに何をするのか、入ってみるまでわからないですよ。きっと会社によって違う。
聞いてみると、私が入った翻訳会社において営業とは、かなり、いわゆる「メッセンジャーボーイ」に近いということがわかった。まだインターネットなど通信手段の発達していない時代だ。翻訳作業はパソコン(PC-98と一太郎)でするようになっていたものの、翻訳文の納品はデータをメールで送る、というわけにはいかない。今では考えられないが、なんと、プリントアウトした紙を客先へ持っていくのだ。まさに「納品」って感じ。紙の原稿を納めて、納品書にハンコをもらって帰る、それが最も重要な仕事。あとは月末に翻訳料を回収する仕事(その名もまさに「集金」)もあった。現金払いではなく、手形払いのところがあったから、その手形をもらいに行く。細かいやり方はすっかり忘れてしまった。それまで人生ゲームでしか見たことなかった約束手形の本物をはじめて見て感動した。ただ、約束手形が正確にどういうものかわかったのは随分、あとになってからだ。わからずにやり取りしていたのだから怖い。あとは、外注先から請求書を受け取って、総務に回す仕事もあったな。あれは何でやることになったんだろ、覚えていない。
営業スタッフごとに担当の顧客があって、基本的には用事がある時にそこへ出向けばいいことになっていた。納品に行った際などに「何かお仕事ありますか」と御用聞きはするけれど、まったくの新規のところに飛び込みで売り込みをすることはまずない。三河屋のサブちゃんみたいな感じである。新しい引き合いがあって、そこへ行けと言われれば行くけれど、飛び込みがない、というのは私の性格的にありがたかった。絶対に無理だ、そんなの。翻訳いりまへんかー、なんていきなり言われても、ねえ。冷たくされそう。
営業部には当時、私以外に4人いた。営業部長は支店長が兼任していたと思う。聞けば、4人のうち2人は、私と同じように翻訳がやりたいのだけれど、とりあえず営業で採用されたのだという。そのうちの一人、Mさんに「お互いに営業の仕事がんばって、翻訳やれるようにしような」と言われた時に、「おや?」と思った。だって変じゃないか。優秀な営業マンになって会社に貢献していたら、他の仕事をさせようと会社が思うだろうか。翻訳の仕事はご褒美じゃない。何を言っているのだろう。
4人の担当を少しずつ分けてもらうかたちで私の担当が決まった。最初は3、4社くらいだったと思う。正確には忘れたなあ。先輩のIさんについて来てもらい、担当となった会社に順に挨拶に行く。確かそれが一通り終わった頃、入社から3、4日後に営業会議があった。一人ひとりの担当の売上を確認しつつ、今後の方針を話し合う、という感じだった。私の番が来ると、支店長は一つひとつの顧客先の売上を見ながら、一言ずつコメントをした。「夏目君は、C社の担当やな、C社、だいぶ売上あがってるやないか。ようやってる。素晴らしい」そう褒めてくれたが、おかしな話である。まだ入ったばかりで私は何もしていないのだ。その数字だって今日はじめて見たくらいだ。だから「いえ、僕が何かしたわけではないので、褒めてもらう理由がありません」と言った。すると「褒められているんだから素直に受け取ればいいんだ」と口々に説教をされてしまった。また「おや?」と思った。
これはちょっと厄介なところに来たのではないだろうか・・・。

―つづく―

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