思い出すことなど(56)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1995年頃の話です...

結構、テレビによく出ている歌手、俳優、タレントなどでも、NHKに出るとやっぱり違うという。地方では民放のチャンネルが少なかったりするから、NHKに出ると一気に知名度が上がったりするらしい。そして、何より、親や親戚などに「ちゃんと仕事してるんだ」と認められやすい、という効果もある。私の場合もそれは例外ではなかった。

素材の映像がどのように編集されて番組になったのかは、いちいち知らされるわけではないので、放送されるまでわからない。放送される日にドキドキしながらテレビの前に座ることになった。

もう随分早い時間から、録画もスタンバイして待機していた。そしていよいよ、番組が始まった!

おお、こんなふうにあの映像が使われるのかあ、なるほど。と感心しつつ見ていく。普通の視聴者とまったく同じように、勉強になったり、感動したりしながら最後まで見た。私の訳はそれほど多く使われたわけではなかったけれど、自分の書いた文章が肉声になり、字幕になってNHKの番組内で流れるというのはすごい体験だった。そして、エンディングでは自分の名前も出た。「取材 夏目大」というかたちだったけれど。翻訳じゃないのか、と思ったけど、やはり嬉しかった。

最初はBSだったのだが、割にすぐに総合テレビでも放送された。その時は両親や祖母も見たらしい。せっかく入った良い会社を辞めた孫を心配していた祖母は、NHKの画面に名前が出るのを見て、はじめて「ちゃんとやってるんだ」と安心してくれたようだった。「大君の頭の中はどうなってるんかねえ」と感心していた、という話も伝わってきた。何より嬉しかったのはこの祖母の反応かもしれない。祖母はこの5年後に亡くなってしまったが、なんとか間に合って、それだけでも良かったと思う。

1995年という年は私にとってカオスだった。このあとも思いがけない展開があり、物事は一気に進行していく...

―つづく―

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