思い出すことなど(69)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1996年頃の話です...

翻訳会社にいた3年ほどの間、特に翻訳部にいた2年ちょっとの間でわかったのは、自分の翻訳はどうやら通用するらしいということ。そして、翻訳がうまくても、それ自体に価値があるとは限らないということ。特に大規模案件でチームを組む場合には、一人が突出してうまくても価値がない。価値があるどころか、クオリティが揃わないのでトラブルの元になる場合がある。おかしな話のようだけど、それが現実だ。

まさにそのトラブルを自分で引き起こしてしまった。トラブルになるのがわかっていて、立ち止まることなく、突き進んでしまった。決して意識していたわけではないが、どこかで納得したかったのかもしれない。いくら良い仕事をしたい、自分の力で何とかして見せる、と息巻いても、どうしようもない場合があることを。決定的な敗北を喫すれば納得して、思い残すことなく別の方向に進むことができる。もちろんわざとそんなことはしない。したらろくでなしだ。

いずれにしても、気持ちいいくらいの大敗北を喫したことだけは間違いなかった。高校野球で言えば、72-0で七回コールド、予選敗退、みたいな。

もう俺は自分一人でできる仕事でなければするべきではない

そう思った。大規模案件のチームに仮に加わるとしても、自分で取り仕切ってはいけない。コマに徹する。でも、それってあんまり面白くない。まったくやらないわけにもいかないけど、どうかなあ、と思った。

質の追求をすることは、ある程度以上は趣味みたいなものだ、というのも再確認した。自分は質の良い仕事をしているのだ、といくら言っても、それで? と言われたら終わりだ。だから、質を追求しているのに、良い仕事をしているのに報われない、おかしい、なんて考えは絶対にやめるべきと思った。自分が好きでしているだけのことだ。その方が面白いから。良い仕事をしないと面白くないから。それだけ。

こうやって考えてみると、もう会社に居続ける意味はあまりなさそうに思えた。会社にとっても、自分にとっても、このままでは不幸だと感じた。

...そろそろ潮時だな...

...さて、いつ辞めようかな...

―つづく―

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