思い出すことなど(66)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1995年頃の話です...

腹をくくって原稿の修正を始めた。そもそも私は「直そう」という目で他人の文章(自分のもだな)を読むのが好きではない。すごく苦しい。自分で訳すのは楽しいけど、他人のを直すのは大嫌い。ずっと人にダメ出しをするなんて、これほど精神力を削られる行為もないと思う。しかもどう直せばいいか考えるなんて。うんざりする。最初から訳したらこんな手間をかける必要もないのに。

焦りといらだちが募ってくると独り言が増える。しかも、ひどい言葉も増えてくる。「どうしてこうなるかなあ!」とか、その程度ならかわいいもの。だんだん、とてもここでは書けないような、1秒聴くだけで耳がただれるような暴言まで飛び出す(実際、耳にした翻訳部の人たちには「ひどいなあ」と言われていた)。何かで読んだけど、悪口は他人に向けたものでも、自分に向けられたものでも、同じように脳にダメージを与えるらしい。本当かどうかわからないけど、そうかもしれないなあとは思う。暴言が続くと、だんだん自分がひどい人間に思えて、それで落ち込んでしまう。汚いものが心と体に蓄積されていく。

そして何より困るのは時間だ。私がやっていた作業は「チェック」である。当然、チェックにかけられる時間は翻訳よりはるかに短い。自分で訳すより短い時間でチェックをしなくては、外注した意味はまったくない。自分で訳すのに比べて所要時間がせめて1/10にはなっていないと、チェックとは言えないと思う。なのに、私の作業は、自分で訳すのと変わらない、いや、そのままでいけるか確認する時間、訳をいったん消す時間などがあるので、自分で訳すよりむしろ時間がかかっていた。

大プロジェクトなので、最終的な納期の前に何度か「マイルストーン」があった。何分の一かずつ原稿を先方に送るのだ。悪戦苦闘するうちに、あっという間に最初のマイルストーンが迫っていた...

―つづく―

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