思い出すことなど(5)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。

前回の続き。ブライアン(前回(4)参照)が来ている時は、通訳をしていたが、いない時には、メールの翻訳という仕事があった。当時のメールはインターネットのメールではない。インターネットは存在してはいたが、ごく一部の学者が使うもので、広く普及してはいなかったのだ。では、どうしたかというと、日本にある自分のオフィスのコンピュータとアメリカの会社のコンピュータを、メールを送信する時だけダイレクトに接続していたのである。それも、いちいち、今はもうないKDD(国際電信電話株式会社)に電話をかけて。要するに国際電話をつないで、その通話で音声の代わりにデータを送るということになる。わっかるかなあ、わっかんねえだろうな。インターネットが普及し始めるのは、それから5年ほど経った頃だから、この時点ではまだそんなものがこの世にあるとは私は夢にも思っていない。
ただラッキーだったのは、私が使っていたシステムがUNIXだったこと。インターネットは元来、UNIXがベースの通信技術なので、ここで学んだことが後にすごく活きた。社内で当時、メインとされていた部署の技術はあっという間に古くなった。何が幸いするかわからない。
メールの翻訳で印象に残っているのは、和訳した文章を先輩に見せて「何を言っているのかわからない」と言われたこと。それから、先輩の書いた日本語のメールの意味がさっぱりわからなかったこと。わからないと訳せなかったこと。「わからない」と言われた和訳は、よく考えると、書いている私自身が自分で何を書いているかわかっていなかったことに気づいた。
これは勉強になった。目の前にいる人に「わかった」と言ってもらえるまで日本語を直す。あるいは、英語にどう訳していいかわかるまで、書いた本人に日本語の文章の意味を尋ねる。結局、今も、これとできるだけ近いことをしようと意識しながら仕事をしているのだ。
あと、覚えているのは、ある日、「文章をただ読んでいるより、目の前にコンピュータの実機があるんだから、動かしてみればいいじゃないか」と気づいたこと。突然、気づいた。気づいてみると、なんで気づかなかったかわからないほど当たり前のこと。文章にはそれに対応する現実が存在するはず。現実の事象を伝えたくて文章を書いたはずだ。だから、現実の方を見れば、文章に書いてあることの意味はわかるに違いない。そのとおりだった。そして、実機を動かして確かめ、意味を英語でも日本語でもない、言葉を超えた概念として頭に入れ、そのあとに文章を再び読むと理解度が段違いだった。最初の理解なんてゼロに等しかったのだと悟る。これも今にいたるまで仕事に生きている発見である。

-つづく

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