思い出すことなど(2)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。 

生まれてはじめて翻訳というものをしたのは、小学生の時。5年生か6年生か。なぜかうちに英語の絵本が二冊あり、そして商社マンだった叔父の名前が入った古い(その時点で、もう古かった)英和辞典があった。確かコンサイスだ、今、思うと。興味を惹かれ、ページを開くと、絵本に少し書き込みがあった。どうも、訳そうとしたらしい。誰の字だったのかは記憶が定かでない。叔父か、母か。とにかく、誰かがその本を訳そうとして、途中でやめていた。見ているうちに、心の奥に小さな炎が燃えているのに気づいた。「続きをやってみたい…」なぜかそう思っていたのだ。
小学生であり、帰国子女でもないから、英語といっても、荒井注の「ジス・イズ・ア・ペン」とか、志村けんの「あーみーまー(これは英語ではない)」くらいしかわからない。ネタが古くて申し訳ないが、若い人はお父さん、お母さんにきいてほしい。
 ともかく、英語なんてまったく知らないのに、なぜ、訳したいと思ったかは謎だ。幸い、手元に辞書はある。調べれば、時間はかかってもいつかは終わるだろうと思った。
 しかし、これを読んでいる人なら全員予想できるとおり、結局、挫折した。今、思うと、「文法」を知らなかったのが致命的だった。ただ英語の文法を勉強していないというだけでなく、言語に文法というものがあることをまるで認識していなかった。単語の意味が全部わかれば、つなぎ合わせてどうにか文の意味がわかるだろうと思っていただけだった。
つまずいたのが、would、could、shouldという言葉だ。辞書を引くと、willの過去形、canの過去形、shall の過去形と書いてある。まず、未来を表すwillの「過去」形というのに大混乱。何のこっちゃである。仮定法とかそういうのも知らないので、どうしてこういう単語があるのかよくわからない。あまりにできないので、いつの間にかやめてしまったのだろう。はっきり「もうだめだ、挫折!」と思ったわけではなく、本当にいつの間にか・・・。


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