思い出すことなど(57)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1995年頃の話です...

思いがけないかたちで「映像翻訳デビュー」を果たすことになったわけだが、それでずっとやっていこうとか、そういう考えはなかった。もちろん、仕事が気に入ってもらえて継続的に仕事がもらえれば嬉しい。でも、やはりあくまで書かれた文章を訳すことで生きていきたいと思っていた。どちらにしても今すぐに会社を辞めて独立! というのは難しそうだった。しばらくは会社の仕事と掛け持ちということになるのだろう。副業というやつだ。

すでに書いてきたとおり、テレビの仕事をしたことで、制作会社のYさんとは何度か会社の近くで打ち合わせをした。私はうかつというか物事をあんまり深く考えずに動くところがあるので、会社の人もよく来るようなお店で平気で打ち合わせをしていた。当然、その場面を目撃される。事情のわからない会社の人からすれば「夏目が見知らぬ女性と食事をしている!」というふうにしか見えない。先輩たちから「おいおい、あの人誰だよ」と問い詰められた。

何も考えていない私は、ありのままを答えた。「あ、仕事を頼まれたんで、打ち合わせです」と。その返事を聞いた先輩の一人、Wさんは「ええー、副業ってしていいんだっけ」と言い出した。小さい会社なので、すぐそばに社長がいた。Wさんはこともあろうに社長に直接こう尋ねた。

「社長、うちって副業いいんですか。夏目君はやってるみたいですけど」

社長は答えた。

「まあいいんじゃないか。うちは給料も安いし...」

なんとも適当な答えだ。この時まで会社員は普通、副業ができないなんてことも知らなかった。あきれるほどの無知。でも、思いがけないかたちで社長が直々に副業にOKを出してくれた。お墨付き。よし、では是非、積極的に副業を...と思ったけれど、特にあてはなかった。

しかし、世の中、「渡りに船」ということはあるもので...

―つづく―

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