思い出すことなど(45)

「いつまで時間があるかわからないから、やりたいことは早くしなくては」そう強い思い始めた私。発奮するのはいいことだ。でも、焦るのはよくない。思い返せば焦っていたと思う。そのまま翻訳部にいて社内で翻訳の仕事をずっと続けていくつもりはなかった。当初の目標というものがあり、それを忘れていたわけではなかった。会社員ではなく、フリーランスとして働くこと、あくまでそれが目標だったのだ。

またのんびりしていられない切実な事情もあった。とにかく給料が安いのだ。若いうち、しばらくであれば下積みと思って耐えることもできる。しかし、だんだん30歳も近づいてくる。こんなに余裕のない生活をいつまでも続けたくはない。こんな人生はあんまりだ。会社の業績は決して良くはなかったが、私の給料の低さはそれでは説明ができなかった。周囲の人がどのくらいもらっているかはもちろん細かくわかるわけではないけれど、普段の行動、暮らしぶりを見ればなんとなくどのくらいかはわかるものだ。正社員で少なくとも私のように「カツカツ」な人は誰もいないようだった。何の実績もない時に「最低(支店長談)」の値段をつけられてしまった私は、実績を上げても値上げをしてもらえなかった。成り行きでうまい具合に安く使われてしまったことになる。だが、そこであんまり会社を責めようとは思わなかった。一度ついた値段を変えるのは難しいのだなと学んだだけだ。他の人にまた別の値づけをしてもらうしかない。

では、いったいどうすればいいか。選択肢はあまり多くない。すぐに思いつくのは二つ。他の会社に移るか、会社を飛び出してすぐにフリーになるか、だ。どちらもあまり自信はなかった。どうしたらいいだろう。行き止まりなのだろうか。そういう煩悶を毎日続けていた。次第に苛立ちが募っていく。この頃はきっと周囲の人に対しても結構、刺々しい態度を取っていたのではないかと思う。些細なことで怒ってしまい、後悔したこともあった。

さあ、どうしようか...

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