思い出すことなど(34)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1994年頃の話です...

(前回の続き)

すったもんだがありまして、無事に(?)翻訳部に移った私。それ以降は、今日にいたるまで基本的に翻訳の仕事で生計を立てている。だから、翻訳部移籍の日が、私にとっての新しい時代のはじまりだったわけだ(大げさ)。その時代は今もまあ、続いている。昨日は奈良時代、と書いたけど、そのあとたとえば戦国時代みたいな乱世がやってきたのかというと、そんなことはない。大飢饉みたいな時代はあったかもしれないけどね。

翻訳の仕事だけをしていればいい、というのは今は当たり前になっているけど、当時はそれはそれは嬉しかった。人間はやはり得意なことだけするのがいいなあ、としみじみ思ったものだ。その方が周りの人にとってもいい。人間が分業をするようになった所以だ。皆がそれぞれ得意なことを受けもてば、全体として良い結果になる。

机に向かってひたすらキーボードを打っている。そういう生活が本当に性に合っているのだなあ、と思ったのもその頃だ。辞書や資料の本をめくっているだけで幸せを感じた。本が好きでたまらなかった少年が大人になって、こういう仕事をしている、それはもう必然のことと思えた。

キーボードといえば、私は最初の会社にいた時に、タッチタイピング(ブラインドタッチ)をたった3日でマスターした。最初はキーボードを触ったこともほとんどないので、一本指で打っているような状態だった。ある日、先輩に「君は英文科卒なのに、タイプが打てないんだねえ」と言われた。それがなんだか悔しくて。「ならすぐに打てるようになってやるよ!」と決意したのだった。

タッチタイピングを速くマスターするコツはただ一つ。「なるべく重要な、しかも急ぎの書類で練習すること!」だ。私は本当にそうした。課長から頼まれていた書類を、どれだけ見たくなっても絶対に手を見ずにキーを打って作ったのだ。そうすると必要に迫られて、あっという間にキーの位置を覚えてしまった。その期間は頭にキーボードが焼き付いたようになってしまい、自分が喋ったり、人が話すのを聞いたりすると、その言葉どおりにキーが動くので閉口した。今も時々、その症状は出る。

あ、本当は別の話を書こうと思ったのに、長くなってしまった。いいや、明日にしよう。

―つづく―

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