思い出すことなど(74)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1996年頃の話です...

1996年3月31日、その日が会社員最後の日だった。この日の記憶はほんの少しだけある。たとえば、さすがに気が抜けていて、ぼんやりしていたら、隣の席の先輩に「なんか、もうやる気がなさそうだな」と言われたことを覚えている。一回目に比べると、片づけは楽だったような気もするけど、よくわからない。仕事の性質上、書類はやっぱりたくさんあったはず。シュレッダー地獄はあったのだろうか。うーん、覚えていない。

結局、会社員として過ごした期間は合計で7年ほどだった。長いのか、短いのか。今となってはこういう人間がよく会社員を7年もやれたものだ、とも思うけれど、やらないと生きていけない、となったら結構やってしまうものだという気もする。

つらいつらい日々だった。毎日、同じ人たちの集まる場所に行くのは精神的に厳しい。当たり前だろうけど、気の合う人の方が少ないし。話の通じる人の方が少ないし。ほんの少しのディスコミュニケーションがものすごく大きなストレスになった。気にしなければいいじゃないか、と言われれば、おっしゃるとおり、としか言いようがないのだけれど。言葉が伝わらないのがほんと、何より辛い性分なのでね。こういう商売をしているからなのか、そういう人間だからこういう商売をするようになったのか、どっちが先かはわからない。

はじめてみたらとても向いていたみたいだし、とても好きになった翻訳の仕事。でも、最初の動機はあくまでも会社に行くのがいやだ、という不純かつ、後ろ向きなものだった。動機って別に前向きでなくてもいいと思う。軽い気持ち、後ろ向きな気持ちで始めたことが、何かを生むこともあるし。そして、仮に何も生まなかったとしても、それが直ちに悪いこと、とは思わない。

できるだけ楽しく過ごしたいねえ。嫌な思いはしたくないよねえ。それだけ。

―つづく―

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