思い出すことなど(73)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1996年頃の話です...

退職が決まった日から、退職の日までのことはほとんど覚えていない。これは一回目と似ている。一回目よりもさらに覚えていないかもしれない。送別会もしてもらったはずだが、これも記憶がない(ひどい)。なぜなのかなあ。

一部の人たちには本当にお世話になったし、今でもすごく感謝している。でも、やはり、早く外に出たいという気持ちの方が強かったのだと思う。前進して行く中で、どうしても通らなくてはいけない過程だったのだろうけど、自分の中では思ったより時間がかかってしまった、という焦りの方が大きかったような気がする。

気づけば、もうすぐ30歳、というところまで来ていた。だんだん「若い」という感じでもなくなっていく。少し前まではどこへ行っても、「若いねえ、何でもできるねえ」と言われていたのに、気づくと少しずつ年下が増え始めていた。

翻訳で生きていこう、と決めたのは24歳の時で、それが実現したのが30歳の手前、6年もかかるとは思っていなかった。これならすぐにできそうだ、くらいに思っていたのに。甘い考えじゃできないよ、とよく人が言ったり書いたりしているけれど、私は本当に甘い考えで始めたので、そういうことを言う気にはならない。とっかかりは結構、誰でもそんなものじゃないかと思う。ちょっとものになると、かっこつけたくなったりするものだけどね。

―つづく―

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