思い出すことなど(7)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。順不同かもしれません(最初のうちは、以前、Webマガジンに書いたものの転載です)。

マニュアルの翻訳をするよう課長に命じられてから、しばらく定時後に翻訳する日々が続いた。何冊かマニュアルはあったから結構な時間はかかったと思う。どのくらい進んだ時だったか、課長から「何冊かは外注に出してよ」と言われた。その時にどういう手続きをしたのかはまったく記憶から抜け落ちている。誰かに手続きをしてもらったのか、自分でやったのか、それすらも覚えていない。これが記憶の面白いところだ。関心がないことは見事に忘れてしまう。皆、そうなのだろうか。私は特にその傾向が強い。関心のないこと、嫌だな、と思うことはたいてい忘れてしまう。特に嫌なことを忘れる能力は明るく生きる上で役立っている気もするが、困ることもある。いや、それはどうでもいい。
私は訳があがってくるのをとても楽しみにしていた。何しろはじめての体験だ。翻訳文はもちろん無数に読んできたが、自分が訳しているのと同じ文書をプロが訳すのだ。それを読めばどれだけ多くのことが学べるだろうか。そう思うとわくわくした。きっと私などが思いつきもしないような素晴らしいテクニックが駆使されているに違いない。あれこれ想像しながら待った。
しばらく経って翻訳原稿は送られてきた。当然のごとくそのチェックは私の仕事だ。どきどきしながら読み始める・・・どれどれ・・・3行もしないうちに私は心の中で叫んでいた。

なんじゃあ、こりゃあ!?(松田優作の声で読んでください)

目を疑った。こ、これは、まったくの「直訳」というやつではないか。訳文を読んでも何が書いてあるのか一切、理解できない。原文の英語がどうだったのかは推測できる。そして、何より困るのは、直訳としては間違いとは言えないが、訳文を何も考えずに読むと原文とは別の意味に取れる、あるいは反対の意味に取れる箇所がいくつもあったことだ。
私は毎日、訳しながら壁に当たり、それを乗り越えるべく、創意工夫を繰り返していた。なのに、送られてきた訳文にはそういうものが何もない。壁に当って乗り越えるのをあきらめたのか、それとも壁に当たっている自覚もなかったのか。これでは、創意工夫する前の自分の訳よりもさらにひどい。
あまりのことに私は何度も自分を疑った。単に自分のが身びいきでよく見えるだけではないのか、他人に厳しいだけではないのか。そう思って何度も訳文を見返すものの、どう見てもこれはお話にならないほどひどいものとしか思えなかった。
最初は腹が立ったが、それが急に希望へと変わった。愛読している『太郎物語』という小説の影響もあっただろう。主人公の太郎は、やる気がなく、いい加減な仕事をしている人を見るたびに、「あれでもやっていけるのだったら自分でも何とかなるに違いない」と希望を感じるのだ。私もそう思った。プロの訳者がこの程度なら、私も十分、プロになれるし、ひょっとすると抜きん出た存在になるかもしれない。
私は人生の大きな岐路に立っていた・・・。

—つづく

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