めんどくさい

「お前、俺のこと馬鹿にしてるだろう!」

完全に酔っ払ったS君が大声で叫んでいる。びっくりした。その場にいた全員が仰天して、大きく目を見開いている。皆、何も言えず、静まり返ってしまった。

あれは大学生の時。夏休み中。軽音楽部に入っていた僕は、他の部員たちとともに信州に合宿に行っていた。夜は当然のことながら宴会になる。終電を気にすることもなく、そもそも帰る必要がないわけだし、皆、若いから飲めるものはとめどなく飲む。S君も上機嫌で飲んでいたはずだった。それが突然、怒り出し、周囲を黙らせるほどの大声を出したのだ。S君は普段から実に温厚で、いつもにこにこしていて、本当にいいやつだった。しかも男前。だから、男にも女にも全員に好かれていたと思う。だって、こんなやつ、嫌いになりようがない。こいつを嫌うやつがいたとしたら、よほどのひねくれものだろう。

ところが今、その「いいやつ」の彼が怒鳴り散らしている。S君が眠り込んでしまい、だんだん空気が落ち着いてきた頃、誰ともなくこんなことを言い合った。

「いいやつっていのは、人知れず、ストレスをためているものなのかもな」

昔、誰かにこんなことを言われて、深く納得したことがある。

「人に好かれたいと思うなら、都合のいい人間になれ」

それはそうだ。都合のいい人は誰でも好きだろう。言ったことには思ったとおりに反応してくれて、辛い時には優しくしてくれて、困った時には助けてくれる、そんな人がいれば絶対に好きになる。都合のいい人とは、言い換えれば「めんどくさくない人」ということにもなるだろう。

自慢ではないが、僕は随分とめんどくさい人間である。あれこれと好き嫌いは多いし、自己主張も強い。「都合のいい人」からは程遠い。今は、一人で仕事をしているし、家族もいない。人と顔を合わせないことも多いから特に問題は起きないが、何かのはずみで長く僕と一緒にいなくてはならなくなったら、きっと「都合が悪くて」「めんどくさい」ことが続発するに違いない。本当はめんどくさくなくて都合のいい人になりたい。僕だって人に好かれたいのだ。実に悲しい。

でもね、同時に僕はあの時のS君を思うのだ。本当に都合がよくてめんどくさくない人なんているんだろうか。いるとしたら、人知れず、辛い思い、悲しい思いをしているのではないだろうか。そういうのも嫌だな、と。だから、都合の悪いどうし、めんどくさいどうし、時には辟易としながら、なんとか折り合っていくのが結局、いいのかもしれない。S君、元気かな。今、幸せならいいなと思う。ほんと、いいやつだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?