思い出すことなど(26)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。

(前回の続き)

2階(営業部)と3階(翻訳部)を行き来する日々が始まった。これって、まるで映画のマイケル・J・フォックスみたいじゃないか、と思った。不思議な気持ちだった。心に思っていれば現実になる、なんてバカなことは考えないけど、ほんとそういうこともあるもんだ。

仕事が発生する度に内線で呼び出され、3階へ行く。堂々と行き来しているのはマイケルとは違う。もっと恵まれている。仕事は翻訳か翻訳チェックだ。最初は終わると必ずHさんに見せて確認してもらっていたが、3回目か4回目あたりですっかり信用してくれたようだった。

「うん、これだけできるんなら大丈夫、もう見せなくていいですよ」

そう言われた。基本的にコンピュータ分野の仕事はすべて任されるようになった。ただしちょっと困ったことがあった。別に正式に翻訳部に入ったわけではなかったのだ。あくまで所属は営業部。

営業部長からは

「あくまで営業の仕事がメイン。翻訳部の仕事はお手伝いだから、そこは忘れないように」

と言われていた。営業の先輩からも

「まだ営業の仕事で一人前じゃないんだから、それで翻訳の仕事っていうのもね」

なんて言われたり。どういう理屈? わけがわからない。

どうも大きな意識のギャップがあったようだ。営業部の人たちは営業部長もふくめ、私の翻訳部での仕事ぶりを一度も見てはいない(ウソみたいだが、本当に一度も、だ)。だから、「実力はまだまだだけど、見込みあるかもしれないから手伝わせてやっている」くらいに思っているようだった。

だが、Hさんはそういうことをする人ではなかった。いい人だが、お人好しではない。できもしない人間にわざわざ仕事をさせて余計な手間をかけるなんてことは絶対しない。ドライで合理的な人だった。私に仕事を頼んだのは、そうすれば何より自分が楽になり、部署と会社のためにもなると判断したからだった。それがよくわかったから本当に嬉しかったのだ。私にはとても合った上司だと思った。温情などいらない。チャンスさえくれれば絶対に成果を出す、と思っていた私にとってまさにうってつけだ。

野球にたとえると(たとえるなよ)、営業部の認識する私は「育成から支配下になんとか上がったばかりの二軍選手」くらいだったのだが、翻訳部の中ではあっという間に一軍のローテーション投手、あるいはクリーンアップくらいになっていた。

だから、私はお手伝いどころか、すぐにまるまる二人分の仕事をしなくてはいけない状況に追い込まれた。2階では罵倒され、3階では頼りにされる、そんな複雑な日々。

でも私は嬉しかった。少し前に比べたらなんと幸せなことだろう。少なくとも今は希望がある。前はなかった。色々と問題はあるけれど、しばらくはチャンスをくれたHさんに恩返しするつもりでめいっぱい働こう。行けるところまで行くのだ。限界が来たら、その時はその時、そんなふうに思っていた。信じられない楽天家。

―つづく―


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