思い出すことなど(30)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1993年頃の話です...

(前回の続き)

「夏目君、K社から電話だよ」コーディネーターのお姉さんがそう言った。

あれ、なんだろう。珍しいな、電話なんて。顧客からの電話なので、当然、急いで出る。

「はい、夏目です。お世話になっております」

「あのですね、先日お願いした翻訳ですけどね、金額が見積もりより2割も多いってどういうことですか? 正直、これじゃ困るんですよね」

「はい、大変申し訳ありません...こちらの不手際で...はい、最終的にこの量になってしまいまして、難しいのは承知しておりますが、なんとかこの金額でお願いしたいのですが」

「はい、そうですか、というわけにもいかないんですよ、こっちも予算ていうのがあるんだから...」

えらいことになった。先日、短時間で手抜き見積もりをした件だ。翻訳が上がってきた時、量が2割多いなあ、困ったなあと思ったけれど、どうしていいかわからず、そのまま請求書を切ってしまったのだ。しかし、これは相手が怒るのは当たり前である。いきなり2割も多い金額を請求されて、何も言わず払ってください、なんて、そんな話、どこの世界でも通るわけはない。お店で1万円の値札がついたものを買おうとしたら、レジで「1万2000円です」と言われたようなもの。ふざけた話だ。手抜きのツケがあまりにストレートに返ってきてしまった。自業自得とは、まさにこういう時の言葉だろう。ほんと、今思い出しても、あの時の担当の方、すみません、と頭を下げたくなる。

全面的に私が悪い。返す言葉もない。いったいどうすればいいのだろう。どうやって収めたのか、実は記憶がないのだ。あまりに困りすぎて、記憶から消えたのだろう。どうにかはしたはずなのだが。このシリーズを書いていて、人間の記憶とは実に不思議なものだと痛感する。びっくりするくらい覚えていることもあれば、なーんにも覚えてないこともある。そういう人、珍しくないのかもしれないが、私は総じて、都合の悪いことから忘れていくらしい。ひどい話だ。

対顧客はどうにかなった(のだと思う...記憶なし)のだが、問題はそのあとだ。すぐに私が大変なヘマをやらかしたという話が、小さい会社だからすぐに全社に広まった。確か翌日のことだ。すごい勢いで営業部長が私のところに歩いてきて、こう言った。

「おい、夏目、K社の仕事めためたになってるな。ちょっと話をするから会議室に来い」

ああ、やっぱりそうなるか、逃げも隠れもできない。私は最悪のことを覚悟していた。体力も精神力も限界だったし、自分が悪いとはいえ、何か張りつめた糸が切れた気分にもなっていた。「もう無理だな...」という気持ちでいっぱいだった。これというあてがあるわけではないし、翻訳の道はあきらめなくてはいけないかもしれないけど、辞めろと言われれば、潔く辞めよう、そう思っていた。こういう状況になるまで、「改善してほしい」という私の訴えを何も聞いてもらえなかったことへの絶望もあった。「どのみち、これ以上、ここにいても良いことはない」と思ってもいた。

会議室(4Fにあった)に行くと、長い机に、営業部の人たちや支店長など、大勢がずらっと横に並んで座っていた。いった何人いたのだろう。色んな人がいた。すごい人数だったのはうっすら覚えている。私は一人、その人たちと向かい合わせで座ることになるらしかった。

いよいよ吊し上げが始まるのだな、と覚悟した...

―つづく―

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