思い出すことなど(100)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1998年頃の話です...

思ったよりも時間はかかってしまったが、何とか原稿はできあがった。しかし、それで終わりではない。原稿は「ゲラ(校正刷り)」になって戻ってくる。はじめてだったので、まだ本にはなっていなくても、自分の書いた原稿がゲラになっただけで感動した。

校正作業は大変だ。何しろ「自分の間違いを見つける」のが仕事だ。こんな憂鬱で後ろ向きな作業がこの世に他にあるだろうか。「俺が間違えるわけないだろ」とは思わないけれど、「間違い、見つかりませんように」とつい思ってしまう。でも、そんなことを思っていてはまともな仕事ができないので、心を鬼にして、厳しく厳しく、他人の書いた原稿だと思って見ていく。まあ、ほんとうにあとから通して読むと、「えっ」と思うような打ち間違いがあったりして、結構ショックを受ける。ただ、その一方、訳そのものは、思ったよりうまくできていたりして、「やるな俺」なんてちょっと褒めたくなったりもする。その心の揺れ動きがとても疲れる。

その頃は何でか理由は忘れたけれど、出版社に自分から出向いて校正作業をしていた。なぜだろう。おそらく輸送にかかる時間をなくして、作業時間を少しでも多く確保しようとしたんじゃないかと思う。遠いところにあるから結構疲れたけど、楽しかった。出版社の皆さんとランチに行ったりして。

そしていよいよ、本ができ、書店に並ぶ日が来た。

『JDBCパーフェクトガイド』

それが、私の最初の訳書のタイトルだった。これからどれだけ訳書を出そうと、これが最初だったという事実は変わらない。この時の嬉しさをどう表現していいかわからない。思ったより部数は少なかったが、最初の本が出た喜びに比べれば些細なことだった。ずっとこれを目指して生きてきたような気もした(大げさ。実際にはそうではない。なぜだかこうなった、というだけ)。

都内、横浜、川崎などの主要書店はすべて見て回ったと思う。たくさん、良い場所に並べてくれている書店は好きになるし、少ししか置いていなかったり、置いていなかったりする書店にはがっかりする。それは今もあまり変わっていないな。ともあれ、今につながる翻訳生活がその時から始まったのだと思っている。ありがたいことに今も訳書を出し続けられている。本当にいろいろな人に助けられてやってきた。感謝の気持ちでいっぱいである...

...第100回まで、思い出をつらつらと書いてきたが、ちょうど100回というのを機会にいったん休もうと思う。だんだん話が現在に近づいてきているので、生々しくて書きにくいというのもある。今は新しすぎることも「昔話」と思える日が来たら、続きを書こうかなと思う。その日まで待っていただければ幸いである。

では、ご愛読ありがとうございました!

―つづく(いったん中断)―

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?