思い出すことなど(99)

翻訳に関する思い出を「思い出すことなど」と題して、色々と書いていきます。今はだいたい1998年頃の話です...

1998年。この年、我らが横浜ベイスターズは38年ぶりの優勝へ向けてひた走っていた。街も私の心も浮き立っていた。だが、その一方で、私はとても苦しんでいた。本の翻訳がなかなか思うように進まないのだ。

内容が難しいからではなかった。いや、難しかったが、それは特に苦しくはなかった。知識はまったく不足していたので、「調べる」というレベルではとても太刀打ちできず、いちからきちんと「勉強する」ことが必要になったが、それはむしろやりたいことだったし、楽しかった。知らなかったことを知るほど、楽しいことはあまりない。作業そのものの困難さは、なんとも思わないのだ。それが自分のしたいことだからだ。では何が苦しいのか。どうして進まないのか。

理由はずばり「お金」だった。普通、本は訳し終わって、出版されないとお金に変わらない。印税の振り込みは出版してから3ヶ月後、というのがごく普通の条件だ。たとえば(あくまでたとえば、だ)、訳すのに半年かかったとする。訳してから本が出るまでには校正という工程がある、校正に2ヶ月かかったとしよう。校正が終わってようやく印刷、製本ということになるのだが、これにはだいたい10日くらいかかる、そして、本ができてから書店に並ぶのにまた10日くらい。つまり、訳し終わってもさらに3ヶ月はかかるわけだ。合計するとどうか。6+3+3=12。訳に着手してからなんと、丸一年間、収入がないということになる。もちろん、一年くらい、無収入でも困らないよ、というお金持ちや、計画性がある人ならいいだろう。残念ながら私はそのどちらでもなかった。一ヶ月でも無収入になると、途端に困ってしまう。だから、本の仕事だけに集中するわけにいかなかったのだ。それまでにやってきた産業翻訳の仕事をしつつ、本の訳も、ということになる。今までの倍、働くというわけにはいかないから、どうしても、どちらも一人前の量はできない。貧乏にあえぎつつ、なかなか進まないストレスにさいなまれる、というつらい日々が続いた。

原書を送るのが遅れたこともあり、Nさんの催促はきつくなかったが、次第にいらだってきているのはよくわかった。私もできれば速くしたい。だけれども、ごはんを食べないで仕事はできない。懸命に働きながらも、世の中に謝っているような気分で日々を生きていた。

今、思うと、よく終わったなあ、と思う。どうやって乗り越えたのかはあんまり覚えていない...

―つづく―


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