世は"大学お笑い"時代らしいが、"大学バンド"時代も来ているのでは?

"大学バンド"
 こんなくだらない概念を提唱するのは非常に忍びないのだが、思いついてしまったので書かずにはいられなかった。


 "大学お笑い"という言葉を耳にするようになってもう長い。

大学のお笑いサークルにルーツを持つお笑い芸人の方がそう呼ばれているが、遡れば、さらば青春の光やメイプル超合金が出始めた頃からにわかにお笑いサークルへの注目が高まっている空気があったと思う。

それから、個人的には、ラランドや真空ジェシカへの注目が集まると同時に「大学お笑い」という言葉を聞くようになり、ミルクボーイのM-1優勝でその言葉は不動の地位を築き、昨年の令和ロマンの優勝でマスに広がった、というような印象だ。

 今回は大学お笑いについての記事ではないのでこの辺の経緯を詳しくは調べてはおらず、上記の話はあくまで全て僕の印象論なのだが、現時点で「大学お笑い」という言葉が盛んに消費されているというのは事実だろう。
お笑い界においては、「第七世代」というバズワードに続くワードであるような気がする。

 しかし、そもそも各芸人さんの実力や活躍と、彼らが大学のお笑いサークル出身であるという事実は本来は関係がないはずだ。
それにもかかわらず、彼らを「大学お笑い」という言葉でくくることに対しては、何かイヤーな胡散臭さというか、商売くささというか、キショさを感じずにはいられない。



 そんなキショい所業を、自ら自分の畠であるバンド界隈でやってのけようというのが今回の記事の目的だ。


 散々予防線を張ったところで、やっと今回の本題だが、
昨今明らかに大学の軽音サークル出身/在籍のバンドの活躍が目覚ましい気がしてやまないのだ。


1. CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN

 僕がなんとなく大学生のバンドという括りを意識し始めたきっかけが、CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINの音楽と出会ったことだ。

「大学の軽音サークル出身/在籍で活躍しているバンド」として"大学バンド"という概念を提唱しておきながら、一発目から少し例外的にバンドを出してしまった感は否めない。
というのも、どうやらCHO CO PAの場合は、メンバーの出会いは小学校時代にまで遡るらしく、それぞれが通っている大学は別々らしい。
ベースのYutaさんは早稲田大学、サウンドエンジニア/DJのSoさんは美術系の大学、作曲/映像を担当するDaidoさんに限ってはキューバのハバナ大学に留学していたそうだ。

というわけで、早速1バンド目の紹介から"大学バンド"という概念に歪みが垣間見えてきたが、とはいえ、CHO CO PAがインターネット上で注目を集め始めた当時、彼らが大学生であったことは事実(だと思う)だし、僕が個人的に大学生のバンドという括りを意識し始めるきっかけになったバンドだったので、挙げておきたい。

 2年ほど前に「空飛ぶ東京」をYouTubeに公開(現在は削除済みの模様)して以来インターネット上で急激に注目を集め、昨年には待望のサブスクリプションサービスでの配信を開始。
 今日本の若手バンドの中では一番勢いがあるといっても過言ではない気がするし、CO PA CO CHO CO QUIN QUINについてはこれ以上紹介するまでもないだろう。
もしまだ聞いたことがない人がいたらぜひ聞いてみてください。
民謡のノリと電子音楽の融合が高次元で実現されていて、マジで良いです。


最近新譜が出ました。僕は『アダンの海辺』ヘビロテしてます。



2.新亜並行空間

  僕が新亜並行空間と出会ったのは、2023年の2月にリリースされたアルバム『心の理論』がきっかけだったと記憶している。

今回の記事では、楽曲やバンドの批評にはなるべくたちいらないことにしたいのだが、とにかく新亜並行空間はヤバい。
2010年代前後、People in the Boxらが率いていた残響レコード界隈の空気感を持ちつつ、普遍的な"J-pop"にしているのだが、その参照元としてはガッツリとジャズのシーンが横たわっている、という感じ。
この紹介文だけをみたら「めちゃめちゃ左脳的な理論オタクなのかな?」と思われるかもしれないが、歌詞や、テーマ設定に文学的な要素も感じる、いわゆる"アートロック"のお手本のようなバンドだと思う。

 出会った当時、あまりの衝撃から、周りの人に布教しまくっていたのだが、そんな中である人から「新亜並行空間って〇〇大学の人らしいよ〜」と教えてもらった。(公開情報かどうか定かじゃないので一応本稿では伏せます。)
調べてみると、確かに十代白書2023年大会にも出場していので、学生であることは確からしい。

僕の中で、「大学生バンドやばいな」という感覚が確信に近づいた瞬間だった。


3.野口文

 こちらももうご存知の人が大半ではないだろうか。

彗星のごとく現れた天才だ。

 僕が知ったのは2ヶ月ほど前だったのだが、このbottoというアルバムがやばすぎる。
とにかく聞けばわかるのでここでもあまり多くは語らないことにするが、簡単にいうと、彼もジャズの文法をポップスに昇華してるというタイプのミュージシャンといって良いと思う。
そういう意味では2組目に挙げた新亜並行空間とも重なるのだが、例えば、『bottoI』や『bottoⅥ』という楽曲に特徴的に現れている無国籍感が漂う雰囲気は、細野晴臣の言う"チャンキー・ミュージック"的要素もあり、その点は1組目に挙げたCHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINとも似ているような気がする。
これ以上中途半端な知識やボキャブラリーで講釈を垂れるのは控えよう。
『bottoⅩ』の「まともにジャズも聞かないようなやつらが『ジャジー』とか言って評価しているけれども」という歌詞にあるのだがこれはまさに僕のことだ。ごめんなさい。

 まあとにかくかっこよくてすごすぎる音楽を作る野口文なのだが、彼もまた、大学生なのだそう。
というのも、spotifyの紹介文一行目にそのまんま書いてあるのだ。
『都内の大学に在学中の音楽家』と。

これを見た瞬間「まーーた大学生の天才やん」と半ば諦観のようなものを感じた。


4.C子あまね

3組目に挙げた野口文が、ソロプロジェクト始動前にやっていたバンドということで知ったのがC子あまねだ。

調べてみたら、公式Xでなんともぐだぐだっと活動終了を宣言していて、その茶目っ気にとても好感度が上がってしまった。

 彼らに関しては詳しいことはあまりよくわからないので、ここでいう"大学バンド"に当てはまるのかも定かではないのだが、現在大学に在籍しているという野口文氏が、過去にやっていたバンドということで、世代的には学生の世代であろうと思われたので軽く紹介させていただきたい。

野口文の楽曲を聞いた方ならもうわかると思うが、C子あまねの楽曲も本当にレベルが高くてすごい。
野口文の楽曲との比較で言うならば、野口文のソロの方が比較的ヒップホップ的なアプローチが多かったような印象を受けたのだが、C子あまねはむしろJ-popや、いわゆる邦ロック的なものをより意識しているのではないかという感じがした。

活動終了前最後に出したアルバムのタイトルが『Japan』という点にも、J-popや邦ロックなど、日本の音楽文化に対するメタ的な態度が読み取れるのではないだろうか。見当違いかもしれないが。
また、『ロックバンドは恥ずかしい』というタイトルからも、ジャズやクラシックをルーツにもつ身でありながら邦ロックへの接近を試みるその心境のようなものが垣間見える。




5.食堂ガール

 約2時間前、YouTubeのおすすめにこのMVが出てきて、サムネイルのキャッチーさにまんまと惹かれて再生した。
そこで初めて出会った音楽の衝撃の勢いをきっかけに執筆しているのが本稿だ。


YouTubeに公開された『Moon』の概要欄の一行目には「横浜国立大学発の5ピースバンド.」と書かれている。
横浜国立大学のロック研究会というサークルに所属しているメンバーで結成したバンドだそう。
僕が"大学バンド"という愚かで浅ましい概念を思いついてしまった瞬間だった。

 こちらもとにかく楽曲を聞けばわかるのだが、本当にハイレベルだ。

SNSのbioに書かれた紹介文は「横浜国立大学発の5ピースバンド.
ロックを研究し日常に溶け込む音楽を演奏する」とのこと。
"ロックを研究し"と言う文言に現れている通り、楽曲からも、ロックに対するメタ的な態度が伝わってくる。
ロックに根を張った音楽と言うよりも、ロックという場所から距離をとってそれを振り返って解釈した音楽、まさに本当の意味でのポスト・ロック(いわゆる「ポストロック」のイントネーションじゃなくて、「ポスト構造主義」とか言う時の「ポスト」のイントネーションで発音してみてください。それです。)をやっているという感じだ。
個人的にはステレオラブの志した「ポストロック」を現代の日本で高度に実現しているというような印象だ。

まじで余談なのだが、このバンドのドラムの方は佐々木檀という名前の方らしい。食堂ガールの楽曲は彼が作曲をしているものらしいのだが、上記添付の素晴らしいMVを監督したのもこの檀さんらしい。
僕も彼と同じ檀という名前なのだが、24年間生きてきて檀という名前の人物に出会ったことがなかったので、正直かなり驚いた。しかもバンド活動をしていて、作曲を担当していて、映像まで作るということを知り、動揺では済まないほどの驚嘆を感じた。スマホで「だん」と打って「檀」が予測変換の一番上表示される人間が僕以外にもいるとは思いもしなかった。
まさにアイデンティティクライシスだ。


なぜ今"大学バンド"なのか


 ここまで6組の"大学バンド"と言えそうなアーティストを紹介してきたが、最後に、なぜ今このような現象が起こっているのか(起こりつつあるのか)を少しだけ考察して終わりにしたいと思う。

"大学バンド"の共通点

 まず、これまでも大学に在籍しながら音楽活動をしているミュージシャンはいくらでもいた。し、今も、上にあげた6組以外にもいくらでもいる。
では、これらのミュージシャンを"大学バンド"とくくってしまいたくなるこの感じはなんなのだろうか。

その答えを探るにあたって、上記6組のとある共通点がヒントになるのではないかと思う。それは音楽から漂う所属不明感、エクスペリメンタルな姿勢だ。一言でジャンルを言い表せない感じ。

以下雑にまとめると

  • CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN:民族音楽と電子音楽からのポップスへの接近

  • 新亜並行空間:ジャズやプログレからのポップスへの接近

  • 野口文:クラシック・ジャズからのポップスへの接近

  • C子あまね:ジャズからのポップスへの接近

  • 食堂ガール:ロックの再解釈(=ポスト・ロック)

このように、今回挙げたアーティストは、どれもこれまでのポピュラーなジャンルのどこにも所属せず、ポップスやロックに対して共通してエクスペリメンタルな姿勢が感じられる。
実際に自らの自己紹介において、「革新的なサウンド」「さまざまなエッセンスを混ぜ」「音楽を柔軟に解釈」などのワードが使われていることもその証左ではないだろうか。

しかし私たちは一貫したストーリーを求めてしまう

今回取り上げた6組の"大学バンド"の共通点を、その所属不明感に帰結させることができるとすれば、「なぜ今"大学バンド"なのか」という問いに対する答えが見えてくる。

これらのバンドには一言で「これ」と言って伝わるジャンル名が無い。
しかし、我々は、バンドに対して一貫したストーリーや肩書きを求めてしまい、何かしらの言葉でくくりたくなってしまうのだ。

その時に、ジャンルの代わりに"大学バンド"という括りが有効に思えてしまうのでは無いだろうか。


結論

冒頭で述べた通り、本来そのアーティストやお笑い芸人のルーツが大学のサークルにあると言うことと、彼ら本人の実力や活躍との間にはなんの関係もなく、"大学お笑い"や"大学バンド"などと括ってしまうことはナンセンスであるどころか、場合によっては彼らを誤った尺度で評価する下地を作ってしまうことになりかねない。
しかし、我々は対象を何かしらの枠組みで括りたくなる衝動を止められない。

僕が今日ここで提唱した"大学バンド"という括り、概念は極めて下らないが、それは他のあらゆるジャンルにおいても同じことだ。
あらゆるジャンルや括りは総じて下らない。しかし、ジャンルや括りがあるからこそ、認識できるものもあるだろう。

一つの言葉で概念を括ってしまうことのくだらなさと、その有用性のようなものについて触れたところで、結論らしくなったっぽいので本稿を終わりにする。

くれぐれも「こういうコロナ以降の大学バンドのムードありますよね。インターネット文化、邦ロックを通過したような(笑)」みたいな感じでくさすのはやめてくださいね。怖いので。



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