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アートとサイエンス

6月末を決算日にする会社の決算発表が7月後半から次々に実施され、ネットや新聞の記事に出てくる決算の一覧を見てると、何をしてるのか知らない会社がいくつもあります。

何をしてるか知らない会社の中で、気になった会社の一つがartienceです。

私が見た一覧では、1月〜6月の売上高が905億円、純利益が52億円となっていて、6ヶ月間の売上高が905億円もあるartiennceという会社は何をしてるのだろうと心に引っかかりました。

ただ記事をみてすぐに調べることはせず、今週になってartienceのウェブサイトとwikiを見ました。

わかったことはartienceの旧社名は東洋インキで、今年になって商号を「artience株式会社」に変更したということです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Artience

東洋インキの名前は知ってましたが、社名変更したことは今まで知りませんでした。

東洋インキの2023年3月23日のニュースリリースでは、artienceの名前の由来が載ってます。

新社名「artience」は「art」と「science」を融合した言葉であり、リリースでは変革への決意と、東洋インキの強みであるartとscienceを融合させることによって豊かな未来の実現に貢献することを示すために、社名を「artience」に変えると表明してます。

artienceの製品欄を見るとインキの他に色材、電子材料・光学材料、コーティング、接着材料があり、リチウムイオン電池の材料にも意欲を見せていて、ウエブサイトを見ると社名変更してもいい時期が来てたのだなと思います。

ニュースリリースにあるようにartとscienceを融合させる企業活動によって未来に貢献し、世界の人々の間でartienceの名前が知られるようになるといいですね。

artienceのウエブサイトを見てもう一つ感心したことがあります。

artienceの創業者は小林鎌太郎と紹介されてます。

当社グループの創業者―小林鎌太郎は、1875年3月横浜で生まれました。幼くして両親を亡くし孤児となった鎌太郎は伯母の家に引き取られましたが、わずか8歳で横須賀の洋服店に奉公に出されてしまいます。この時代、既に義務教育制度が施行推進されていたにもかかわらず、彼は小学校に通うことすら許されず、生涯文盲でした。

ウエブによれば小林鎌太郎は20歳の時に親戚から借金をして日本橋で賃練屋を開業し、行商に励んで小林商店の看板を掲げて店舗の近くにインキ工場を設立し、小林商店は印刷インキメーカーとなりました。

小林鎌太郎を実業家として評価した取引先や資産家の支援もあって、小林商店は規模を拡大して、当時の民営インキ工場としてはトップクラスの工場を持つまでになり、1907年に社名を「東洋インキ」に改称します。

小林鎌太郎は社名を改称した時に社長から営業部長に就任したとあります。

トップクラスの工場を持つ印刷インキメーカーの社長には、別の人がふさわしかったということでしょうか。

それでも文盲というハンデを背負いながら、行商から東洋インキ設立まで小林商店を発展させた小林鎌太郎はすごいと思います。

現在の日本の大企業の創業者に、過去を辿っても読み書きできなかった人物はいない気がします。

幼少のころに父母と死別して充分な教育を受けられず、読み書きする能力を取得できなかった人物が人一倍努力して事業を大きく成功させ、その会社はやがて大企業へと発展していく、そんな劇の中のような出来事が実際に起きたわけですね。


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