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現状維持を望む地区 

1990年代の半ばに人口が緩やかに減少しているA地区の会長の話を聞いたことがあります。

会長としてはA地区を発展させるためなら、他所から企業も人も来てほしいと考えてるのですが、A地区の少なくない住民が、他所から企業や人が来て
A地区の生活環境を変えてしまうことを嫌がってると語りました。

内向的なA地区とは対象的なのが、となりのB地区でした。

B地区では1960年代に市の幹線道路が敷かれ、幹線道路沿いに商業施設、倉庫、事務所が建てられ、マイカーが普及すると共に駅から離れたB地区でも新興住宅団地が形成され、1960年から2000年までにB地区は人口が倍増しました。

A地区の会長の話だと、1960年ごろはA地区とB地区で人口は同じだったということで、他所から来る人も会社もウエルカムのB地区は40年でA地区より2倍発展したわけです。

人口で2倍差をつけられたからといって、A地区の住民はB地区を羨ましいという気持ちは持ってないと、会長は続けて語りました。

A地区の住民の多くは自分達が育った静かな環境を守りたい、かといって、このまま衰退すればいいと思ってるわけではない、A地区の住民をまとめて雇ってくれる会社、A地区の物産品を仕入れてくれる会社、A地区の行事に積極的に協力してくれる人、そんな会社や人なら住民から歓迎されるとのことでした。

しかし、そんな都合の良い会社や人はめったに無いと、A地区の会長はため息をつきました。

A地区は農業が盛んで、A地区から少し離れた地域に行けば工場や流通、娯楽、運送などからの求人も多く、他所から会社や人が移って来てくれなくても、自動車が運転できればA地区の外でサービス業でも製造業でも職場を見つけることができます。

A地区の住宅事情は、A地区の住民の9割が親族から受け継いだ土地に家を建てて住み、1割くらいですが、A地区にも新築住宅の団地ができて、その団地にA地区の母屋から離れた若夫婦やA地区が気にいった他所の人が住んでいました。

先祖から受け継いだ広い家に住み、仕事は高給を望まなければ見つけやすく、自動車が運転できれば医療と行政と日常生活でも不便を感じない、このような環境で過ごしていると、他所から会社や人が来なくてもいい、現状のままで良いという保守的な人が多くなるのも仕方ないと、会長の話を聞いて感じました。

2000年以降にA地区の会長とは会っていませんが、A地区を自動車で通過してみると、新築住宅が少し増えたのが目につきますが、当時とあまり変化はしていません。

B地区の方はコロナの流行時は静かでしたが、感染をさほど意識しなくて済むようになった今では、商業施設も保養施設もコロナ禍前より賑わっているように見えます。

賑わうB地区に対して、A地区は今でも現状維持を望む人が多いということでしょう。



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