維新の正体は、すごく権威主義的な反権威主義なんです(デモクラTV本会議 8月1日放送分から)

2020/8/1  第383回
デモクラTV本会議

【今週の出演者】(敬称略)
司会:山口一臣(「THE POWER NEWS」代表、元「週刊朝日」編集長)

コメンテーター:
竹信三恵子(ジャーナリスト・和光大学名誉教授)
木下ちがや(政治社会学者、明治学院大学国際平和研究所研究員)
丸山重威(元共同通信編集局次長、元関東学院大学教授)

【項目】(11:00~13:00)
(1)臨時国会召集要求で総理は動く?
(2)大学生 我慢いつまで
(3)緊張高まる米中 尖閣は
(4)命の尊厳はいま
(5)黒い雨訴訟 原告勝訴
(6)六ヶ所村再処理工場にゴーサインも…

(4)筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者に依頼を受け、現金130万円を受け取り、薬剤を投与して殺害したとして、二人の医師が逮捕されました。この事件に対し、石原慎太郎・元東京都知事が「切腹の際の苦しみを救うための介錯の美徳も知らぬ検察の愚かしさに腹が立つ」とツイッターで用語発言を行うなど優生思想の蔓延が指摘されています。そんな中、相模原市の知的障害者施設「やまゆり園」で入所者19人が殺害された事件から26日で4年が経過、現地では犠牲者への献花が行われました。(東京新聞24日朝刊1面、27日朝刊1面など)

丸山
いろんな意見があることを認めるということしかないと思う。ただはっきりしているのは、慎太郎さんみたいなことを言う意味。なんでそういうことを言うんだろうって思う。ほかの問題もそうだが、生きる権利ということでいえば、いまの我々の社会で、職業がちゃんとしていなくても生きる権利がある。ちゃんと生活して自分なりの人生をそれなりにまっとうすることができなきゃいけない社会と考えてやってきてるわけですよね。それが一つの運動だと思う。その中で苦しんでいる人が、こういう形になってしまったのはすごく残念だというしかないのが僕の感じなんです。私は死ぬしかない、死ぬのが楽なんだとALSの女性が考えてしまうのが残念。その残念さを同情して何かしてあげると医師は動いたわけだけど、それは僕にはできない。なぜか。やっぱり自分が死にたいと思ってないからだというところに尽きるかなという感じはしている。いま問題にしなきゃいけないのは、どんな状況にあっても希望をもって生きる権利があることを生かしていける社会をどうやって作るか。社会っていうのは、家族の考えもそうだろうし、それ以外の社会の広がりもあるだろうし。それぐらいのことしか言えないかなと思ってますけどね。

竹信
人間観が、役に立つか経たないかをものすごく強くいうような社会になっている。いるだけでいいんだと思ってられない状況になってきていて、生活保護や就労支援にしても、働かなきゃ支援しないみたいな形になってきている。枠組みも厳しくなってきている部分があるんですよね。人間を資源化する度合いが、この間ものすごく強くなっているから。若い人たち、敏感な人たちは、やまゆり園の加害者がいいとはまったく言いませんが、生きていてもしょうがないから殺してあげるんだみたいなことを口走って、本当にやっちゃったり。そういうことを政府が許しているとかいう風に錯覚させるような発言をしばしば、麻生さんとか、誤解されかねない発言をしてましたけど。それがあまりにも多くて。そういう錯覚をみんな起こし始めてるんじゃないですか。

丸山
まあ許しているんじゃないですか、そういうことを。

竹信
そういうことですよね。そんなのいなくていいんだっていう風に、みんな洗脳され始めてきている。

山口
女性議員の生産性みたいな発言ありましたよね。

木下
両面あると思います。石原慎太郎は昔からこういう人ですからね。悪の自由を解く文学性の人。なんでそういうやつが都知事やってたんだって話なんですけど。こういう慎太郎みたいなメンタリティは戦後、ずっと昔からあったんです。そういう意味では、優生思想、様々な裁判で判決が出ているが戦後社会の中にずっとあったものですよね。それがすごく、現代的な様相で出てきている、現代的な様相って何なのかというポイントは、尊厳死という話とつなげられることなんです。昔はそうじゃなかったんですね。昔は優生思想であって、それはカットするものだって。ところが維新の発言に厄介だなと思ったんだが、だから尊厳死の話をしませんかという権利の話につなげたわけ。

山口
死ぬ権利って言ってますよね。

木下
これってすごく現代的なんですよ。このへんの、維新が出てきたような、尊厳死につなげる話が出てきたことが、すごく現代的なんですね。まるでそのこと自体が、善であるかのように出てくるわけです。

竹信
トリックですよね。でも死ぬ権利には、生きる権利が裏についてなきゃいけないわけですよ。生き延びる、生きることができないような状況に置かれておいて、死ぬ権利を主張できないわけじゃないですか。だからそれは本当に、一種のトリックです。

山口
確かに、馬場さんの発言に対し松井さんはよくないと言ってるが、会見をyoutubeで見たが、そもそも言い出したのは松井さんで、いろいろ難しい問題だけど、尊厳死を議論すべきだと。それに対し共産党の議員がツイッターでそれは違うと発言したら、共産党の人間はすぐに難しいことを避けようとするが、逃げてはいけないんだ、議論すべきだという話で。市長の会見でも、ずっと議論をすることが大事だと話していたが、政治家がこの問題を議論するっていうのは、つまり死にたい人を死なせてあげましょう、そういうことを制度化しましょう、立法しましょう、予算をつけましょうという話でしょう? 

丸山
政治家の議論だから問題ないです。

竹信
政治家の問題じゃないですよね。

山口
宗教や哲学者が死生観など考えて議論するならいいと思うんです。

木下
仮に尊厳死という問題について何らかの立法的な行動をするとしたらですよ。仮にするとしたら、一般的には党議拘束しないんですよね。そもそも、この殺人事件と尊厳死って関係ないじゃないですか。それを接続したところに、この問題の厄介さがあります。

竹信
政治家がすることって、そうならないように環境を整えることなのに。なんでお前がそんなの作ろうって話をするんだって。

丸山
やっぱりこれ、お金の話でしょう? これが気に入らないんだな、すごくね。


木下
維新が議論しようというのは、大阪維新の会という政党の性格をよく表している。維新にとっては、文楽も尊厳死も同じなんです。要するに、一般的な社会の中産階級的なマジョリティの人たちにとってたいして意味がない。特に今の中堅世代ぐらいにとって、文楽ってそうじゃないですか。すごくマイナー。僕は貴重なものだと思いますけど。尊厳死もそうですよ。ある種の自己責任で生きていけるような社会層にとって不要なものを取り上げたいんです。なぜならそこがセンターだから。維新という政党の新自由主義的なメンタリティの現れなんですよね。尊厳死を議論しようってつなげていくのは。

丸山
やっぱり新自由主義かね、これもね。

木下
ある種のメンタリティが、そうだと思います。

竹信
もってる社会が中産階級だけなんだ。

木下
維新っていうのは、すごくやってる感の政党だが子育て世代の男の人には人気がある。そこに資源を全部投入して、生活保護とかそういうものは切っていく。傾斜配分してその層を豊かにしていこうとする。阿倍野のトイレをきれいにしたり。町をジェンティリフィケイションしていくことによって、そういう人たちが暮らしやすい空間を作っていく。非常に階級的な政党なんです。そういうところからすると尊厳死の議論なんてのは、いいんじゃないの…ということになる。

1時間30分50秒

竹信
戦後ずっと優生思想があったというのはその通りだと思いますが、ここへきて過激化しているのは資源が枯渇してきていて、景気悪化だったりコロナだったり、どんどん狭まってきている中で、取り合いになってる。そこで中産階級に入れてやるからよー、って、そういうことなんですね。

木下
もう一個すごく大事なのは、優生思想は戦後一貫してあったんだけど、一方で優生思想はおかしいという世論も作られてきた。それに対するカウンターなんです。それが決定的なんですよね。社会的な世論の中ではこういう発想はいけないというのは、戦後の様々な運動や取り組みの中でここまで作られてきた。

竹信
そっちが主流化してたのにってことですよね。

木下
そういうのはもういいよ、という維新の運動なわけです。

丸山
希望の持てるとさっき言ったが、差別されてる人、弱い人たちはいるわけです。その人たちに寄り添って、その人たちのための政治っていうかね。そういう形のものが、社会の構造として作られていくようにしていかないといけない。社会的な正義っていうかな。そこが危うくなってるんですよ。コロナの問題も結局そこにきちゃうと思うんですよね。

竹信
中産階級主義が視野狭いっていうのは、世の中は中産階級だけで成り立ってる訳ではないので。ほかはいいやって、絞っちゃったら、中産階級も一緒に最後は死滅するんですよね。そのことがどうしてわからないのかな、っていうのが私にはずっと疑問だったんです。

木下
それが逆に、コロナ危機の中でいえば、中産階級の人たちが、いかにエッセンシャルワーカーの人たちに支えられて生きてたかってことが目に見えたわけです。そういう変化は生まれている。

竹信
そうですね。だからさっき、視野が狭まってるといったのは、その感じが木下さんのお話でよくわかりました。言語化されたというか。

木下
ALSの舩後さんという人が、令和で議員になったわけですけど、彼を議員にして、彼を支えていくってことが、ムダなことなんですか、そうじゃないでしょって。だから、それは一つの運動であって、そういう人たちが政治の中で自分たちの発言、仲間たちの発言を代弁するような場を作っていくこと自体が社会的な富なわけです。

丸山
そうです、そうです。

木下
維新にとっては、それはムダなんですよ。これは富なのか、ムダなのかという闘争なんですよね。

竹信
中産階級だった奥さんが、生活保護までいっちゃったのを取材したことがあって。お話うかがってて、奥さんがホントに泣くんだけど。生活保護もらいにいったら、無駄遣いしてるみたいに言われたんですよって。でも私だって昔は税金払ってたほうなんですよって言ったんです。だからそういう問題だと思うんです。今は自分は税金払う側かもしれないけど、いつそれがどっちに行くかわからないというのが、人間の在り方なんだから。それを中産階級だけ守って、その制度を守る仕組みを壊しちゃったら、それこそ奥さんが嘆いてたみたいに昔はね、という話になるわけじゃないですか。

丸山
仲間の連帯みたいな話とつながってくると思うんだけど、生活保護を受けるってことがすごく罪悪みたいな、今の見方があるじゃないですか。これはやっぱり変えてかなきゃいけないですよね。そういうものがいま、日本の社会全体を覆ってきているというのは…そういう中でコロナも起きちゃった、みたいなね。たとえば休業補償にしたって、暴力団とか関係したら払うべきじゃないとかね。外国人だったらどうかとか…そういう話になってるのが、そもそもおかしいですよ。

木下
すごく大事なのは、自分が生きてる階層以外に想像力を働かせる機会だと思うんです、いま。ぼくはアメリカ史が博士論文でしたが、なんで1930年代にあれだけ、のちに革新的な文学や、アートや、学者や、労働運動が出てきたかっていったら、みんな階層を超えたからですよね。

竹信
みんながそこでエラい目に遭ったんですよね。よっぽどのお金持ち以外は、お金持ちも一気に没落したわけですから。

木下
日本の戦後民主主義だって、戦争によっていろんなものが破壊されて、苦難の共同体の中から出てきたわけですよ。すごく恐ろしいのは、その人たちがもう死ぬんですよ。そろそろ。それは、戦争の記憶が消えるだけじゃなくて、平等の記憶も消えていくんです。だからそれをいまもう一度、きちんと僕ぐらいの世代が、とらえ返さないと、大変怖いことになると思います。

山口
最後のチャンスかもしれない。

木下
最後のチャンスだと思います。

(CM)

山口
一度話を整理しましょう。事件じたいは自殺のほう助ですよね。尊厳死とは全然違う話だと思う。女性が死にたい気持ちをもっていて、お金を受け取って自殺を手伝っただけ。だから事件なのであって。

竹信
犯罪なんですよね。

山口
舩後さんもおっしゃったように、ご自身も死にたいと思ったことが、2年ぐらいあった。でも生きがいを見つけて、いま生きたいと思ってる。この女性も、その時はそうだったかもしれないけど、あとで振り返るとあの時死ななくてよかったと思う可能性はあったわけです。その人に対して薬剤を投与したという事件だった。僕は擁護の余地がないと思う。

竹信
その通りだと思います。

山口
慎太郎さんが介錯の美徳とか言ってるけど、違うと思う。それはそれとして、維新がひっぱてきて尊厳死の議論を始めるというのが大問題だと思う。先ほどから木下さんが解説してくれてるように、そこには優生思想があり、新自由主義的な効率主義みたいなものがあるんじゃないかって疑いがどうしても消えないっていうか。ほんとにもう繰り返しになりますが、議論ってなんですかって話ですよ。馬場さんがツイッターで、要するに臓器移植の議論を思い出すと。脳死は人の死であるかということでさんざん議論した。脳死が人の死であるかというのは議論の余地があるじゃないですか。今回、議論て何?

木下
ない。

山口
死なせるか生きさせるかって議論じゃないですか。「死なせる」は否に決まってるじゃないですか。

丸山
殺すか、殺さないかだもんね。

山口
っていう話ですよね。それを、政党の幹事長という要職にある人がね。堂々と発言してるっていうのは、非常な恐ろしさを感じる。

竹信
死ぬに権利はないんだと思います。死なされるところに追い詰められていく。その時は権利といってもいいかもしれないけど、そこは権利というよりは、そこに追い込まれていくという、社会の仕組みの問題ですよね。

丸山
死刑なんてどう考えるんだろうね。そういう時ね。

木下
維新は新自由主義的な理念をいちばん継承しちゃったっていうか。自民党は全体としてはそこまで行ってない。下手すれば、菅さんといちばん仲がいいわけです。そこはもう、すごくポイントで、ある種の経産省的新自由主義マインドというか、っていう感じでみんなつながっていくんですね。で、この人たちが次の政権を担っていくんですよ。さあどうしよう。恐ろしいですよ。でもそれしか安倍の球はない。覆すには言論でなく運動で覆さなきゃいけないというか、さっきの派遣村じゃないですけど、社会の中から、そういう価値観じたいを変えていくような、動きっていうのを、労働組合なり、社会団体なり、市民なり、政党なりがみんなで一緒にやって、変えていくっていうことをしないといけないし、今すごく大事な機会になってると思うんですよね。

山口
あえて聞くっていうか、教えてほしいんですけど、維新の思想的なことなのか、あるいはずっと聞いてるとね、大西つねきさんの話も馬場さんの発言とすごく似てると思うんです。

木下
似てますね。

山口
両方の方の言ってることを読むと、信念というよりは安っぽい正義感、子供のような正義感を感じてそれが怖い。

木下
ある種の信仰になっていますね。大西さんの発言もそうだし、一種の生産力主義の信仰みたいなものがあって。何かを守るためには何かを切り捨てなきゃいけないみたいな

山口
それを誰かが言わないと世の中がよくならないという正義感というか、あえて俺が悪役を引き受けてるんだみたいなね。


木下
それがタブー破りの感じで。この2,30年、ずっといろんな局面でありました。あえて韓国に言わなきゃいけない、とか。

竹信
「あえて」がキイワードですね。

木下
そうそう。その一環というか、維新の会なんかは、タブー破りっていうか、「あえて」与党も野党も言わないほんとのことを言うと、その切り口で言論を積み重ねてきた。橋下さんはまさにそういう人だった。それは僕の用語でいうと権威主義批判なんですよ。なんだけど、すごく権威主義的な反権威主義。

竹信
納得。ねじれてますよね。

木下
ねじれた言論を作っていって、反権威主義の体裁をとった。維新が想定している権威というのは、ある種の社会民主主義なんです。戦後日本の中で、弱かったけど積み上げてきたような平等思想とか、彼らの言葉でいえば「生ぬるいもの」。自民党も含めてそういうものが権威になってしまっていて、我々はドン・キホーテのようにその権威に挑むために、「あえて」ホントのことを言うんだっていうのが、大西さんの発言です。あるいは、馬場さんたちの発言ですよね。そういう機能をもった発言なんだろうと思います。


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