自分はクリエイティビティがない

自分はクリエイティビティがない、と思っている。
クリエイティビティとは、「目的が不明瞭、もしくは非常に漠然としている状態で、何かを作ること」である。
例えば、Minecraftを始めたときどうすればいいか僕は全くわからないし、楽しくない。
高校までの美術の時間は非常に辛くて、「今回は●●を作ります。はい作ってー!」となったとき毎回悩んでいた。
小学校のときは楽さ重視で意味不明なものを作った記憶が多々ある。

逆に、目的が明確なときはすごい得意である。
いわば、学問的なフィールドに立てるときである。
僕はどんな難しさのものでも、相当な速さで7割に到達するのが得意、だと思っている。
人生はこれで乗り切ってきた感じがする。

3年連続であるITの試験を受けたのだが
それは4つの関門があって、第1・2の関門は四択問題。第3の関門は国語の問題のような記述問題。第4の関門は論文、という名のクリエイティビティを要する作文なのだが
3年連続、第4の関門で「合格まであと一歩」判定で落ちた。

しかし、個人的には、生きるにあたってクリエイティビティはほぼ不要だと思っている。
もちろん、画家とか漫画とか、クリエイターとして生きるのであればクリエイティビティは必要になるだろう。
しかし、そういう特殊な職に就いていない限り、クリエイティビティは不要だと思っている。
生きていくうえで直面する問題は、ほぼ全てクリエイティビティなしで解決できると思っている。
自分がぶつかった問題というのは、過去絶対に他の人が同じ問題にぶつかっているし、ちゃんと調べれば適切な解決方法が出てくる。
また、知識を用いて学問的・理論的・論理的に考えれば、演繹的に帰結が自ずと出てくる。

僕が高校の先生に言われて印象に残っている言葉がある。
「第一志望の大学に合格できたのは、素直だったから」という言葉だ。
僕は正当性のある言われたことや、論理的帰結の結果を素直に受け入れることができる。
例えば、これまでAということをしてきて、それが間違いでBだと気づいたらすぐにBに切り替えることができる。
僕がグラップリングである程度強くなれたのも、先人の知恵をすんなり受け入れて、実行してきたためだと思っている。

しかし、人間というのは不思議なもので、みんながみんな学問的・理論的・論理的な帰結を受け入れて実行するわけではない。
アドラー心理学では、10歳までにライフスタイル、つまり生き方が決まると言われており、そこから生き方の急カーブは難しい、と言われている。
その理由は、今までやってきた自分の生き方を変えるのは未知の世界で生きることで怖くて、「今までこれでやってきたし」というコンコルド効果などのため、と言われている。
ここに人間の深みがあるだろう。

振り返ると、この姿勢は哲学に養われたのかなと思う。
自分の大学の専攻は西洋哲学だったが、哲学で大事なのは真理を尊ぶこと。
哲学とクリエイティビティを考えると、ドゥルーズなど現代西洋哲学はクリエイティビティが結構含まれている気がして、ドゥルーズの哲学はそれはそれで魅力的なのだが、個人的にはなんかすんなり評価できない。
それよりも、例えば途中間違っていたとしても、カントのような超絶緻密な論理の上に成り立っている哲学のほうがある種の感動を覚える。
とは言え、超絶緻密な論理かつそれが真だったら一番良い。
アドラー心理学が良いのも、結構理論はスッキリしていて、変なクリエイティビティでお茶を濁している感じが全然しないところだ。

その点、哲学がよくわからないクリエイティビティに侵食されてるように見えて(現代西洋哲学が好きな人ごめんなさい)
思想系の教授・名誉教授が本当しょうもないこと言ってるのを見たりして
一方で、数学は厳密な学問的・理論的・論理的なフィールドで行われているのが尊敬できる。
でも、究極的に考えると、望月教授の宇宙際タイヒミュラー理論がクリエイティビティ皆無かというとそうじゃないかもしれないが
しかし、僕は宇宙際タイヒミュラー理論のことが全然わかっていないが
いずれにしろ、ABC予想を解くという目的のもとで素晴らしいクリエイティビティを元に新しい理論を構築していて
「本当すごい!!!一方で哲学はソーカル事件で騒いでいてしょうもない」
と思うことも正直よくある。
数学とか科学の最前線の人は本当にすごいです。まじで。
究極的に考えると、クリエイティビティと学問領域は非常に融合していて、区別をつけるのが難しいかもしれないがここらへんはとりあえず今回は置いておこう。

いずれにしろ、クリエイティビティがない自分の生き方には非常に満足している。
クリエイティビティがない、というより、学問的・理論的・論理的な生き方をできる自分、が適切だ。
クリエイティビティがないから、Minecraftは楽しめないし、前述のITの資格は受からない。
しかし、グラップリングは結構強くなれたし(ド派手に負けるときもあるけど)、問題に直面してもさくっと解決に至れる。
厳密には、クリエイティビティのなさと学問的・理論的・論理的な生き方ができるというのはトレードオフになっていないかもしれないが
学問的・理論的・論理的な生き方ができる、というのは自分の強みであると思っていて、満足している。

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