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時間をかけないとできないことは時間をかければ必ずできる

簡単な例でいうと、自転車やスキーは、練習時間をかけなければ乗れたり滑れたりすることができません。でも時間さえかければ、人によってかかる時間の長さは異なりますが、誰でも自転車に乗り、スキーを滑ることができるようになります。
そして、一度習得した自転車スキルやスキースキルは身体への記憶として閉じ込められ、仮に何年も自転車やスキーと離れていても、すぐに思い出して乗ったり滑ったりすることができます。

他にも、アーティスティックスイミングや新体操の団体競技などは、練習に多くの時間を割かなければならないスポーツの代表ですが、時間をかけた分だけ上手になります。
日本一や世界一になるためには、本番で心技体いずれもピークをもっていかなければなりませんが、加えて練習量(時間)が不可欠な要素です。
そしてやはり、練習量にほぼ比例して、身体記憶の残存は強く長くなります。

仕事でも例えば、土木工学は、経験工学と言われるように(経験と工学は矛盾しますが笑)、経験を重ねなければわかり得ないことが多いのと同時に、経験を重ねさえすれば一人前の土木技術者として仕事を認められるようになります。

その一方で、創作活動は音楽にせよ映像にせよ、時間をかけたからいいものが仕上がるわけではなく、時間をかけなくても仕上がるケースがあります。
Creativityは時間や経験との親和性は低く、インスピレーションや才能の類と親和性が高い。

努力した時間が報われやすい世界と、報われにくい世界がある。

才能は自分で選ぶことができませんが、才能を見つける努力をすることはできます。努力なので時間がかかります。
才能は自分で選ぶことができませんが、努力する時間をつくることは自分でできます。世界を見誤らなければ、努力した時間分の成果を発揮することができます。

わたしたちの感情は、親ガチャのためにあるのではなく、時間を積算したときのためにあります。
時間をかけないとできないことは時間さえかければできるようになります。その「時間」に、泣き、笑うことができるといいですね。

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