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社会を知らない社会学者に社会がわかるのか?

わたしじしん、大学院で社会学を学び、社会学を通して社会のありようを研究しようと試みたことがあります。
しかしうまくいきませんでした。

社会学の最も残念かつ学問として欠落している点は、切り取った(調査をした)“社会”は過去のものであるということです。
社会は動いています。時間とともに刻々と変化します。1分1秒違えば、切り取る社会は異なります。
その切り取った(調査した)社会は静態であるにもかかわらず、動態の“社会”を分析しようとする学問が社会学です。最初から論理的に破綻しています。

しかも過去を見て未来を予測するのであれば、社会学とわざわざ学問づけなくても、誰でもできます。
社会学者がアクチュアルな社会を語るときの視点は、言ってみれば一般人の視点であるので、研究費(国費)を投入るほどのものではないといっても決して言い過ぎではありません。

同じことは政治を語る政治学者、経済を語る経済学者、いわゆる社会科学全般にも言えることです。

研究室以外で働いたことのない社会学者にアクチュアルな社会がわかるのか?
政治的な権力を持ったことのない政治学者にアクチュアルな政治がわかるのか?
FX投資をしていない経済学者にアクチュアルな経済がわかるのか?

サラリーマンの肌感覚のほうがアクチュアルな社会に近い。政治家本人のほうがアクチュアルな政治を語ることができる。証券マンのほうが短期的な経済見通しを立てることが得意でしょう。

社会科学全般で最も配慮しなければならないことは、自ら切り取った時空間に自覚的であり、自ら切り取った時空間以外には慎ましくあることです。どの時代のどの場所を研究対象とするのかを明らかにして、そこにとどまり、知見を積み上げていくことです。

それが「専門家」たる学者の真摯さになるはずです。

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