1日1枚写真。(201125)

1日1枚写真。

本日はこちらです。

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ベランダに敷いている人工芝??なんて言うのかわからないけど、雨が降ってるからことを残しておきたくて撮った写真です。(ベランダから見える景色はもろ目の前の家が映るので仕方なく)


他人の作品って楽しいですよね。ただ自分が楽しいと思うものだけを選びとって見たり聴いたりすればいいだけなのだから。わたしは人の作品が大好き。そしてそれを自分のものみたいにしちゃうのも。だからわたしは自分が何かを作り出すのがあまり好きじゃない。絶対に何かのコピーになる気がするから。でも、それが自分らしいと言えばそうなのかもしれないと、最近よく思う。

わたしみたいなのは典型的に人気がでないタイプだ。表面上の評価だけ立派で、本気になってくれる人なんてそうそういない。でも稀に、わたしが本当はどんな人間なのか、と言うのを見透かしてくる人はいた。高校生の時。2年生で同じクラスになった女の子2人。その2人はわたしが本当はどんな人間でどんな人なのかというのをきっと知っていた。わたしは結構それが気持ち悪くて、でもどっかで嬉しくて、やっぱり苦手だった。わたしがもっと誠実だったなら、その2人とはもっと仲良くなれた。いつもわたしにとても好意を示してくれた。心の奥では嬉しかった。でも自分を出すのは怖かった。それで嫌われてしまったら後がないから。

結局2人とは『友人』ではなく、『友達』という形で役割を終えた。

卒業してからというもの、連絡を取ったのは卒業してから1.2年の間だけ。わたしは寂しくなった時、しきりに2人を思い出してしまう。もっと仲良くなっていたかった、と。それもこれも全部自分が悪いのだけれど、どこかで、もっと歩み寄ってくれればよかったのに、と相手を悪者にしてしまう。相変わらず最低最悪だ。

でもわたしは本当に自分のことを『最低最悪だ』と思っているんだろうか。

わたしは好きなアニメを見て楽しく笑う自分、テーマパークに行ってはしゃぐ自分、テレビで好きなアーティストが出て感極まる自分、全部最低最悪で見ていられない。

だからわたしは瞬時にわたしではないわたしをどっかから連れてきて娯楽を楽しむ。でも、それも別に完璧じゃない。

いまさら調子良く、『わたしはこんな人だ』なんて言えない。

『わたしはわたしだ』と常にいつも違う自分で言っていることが唯一の楽しみな最低最悪な人間だ。

常に寂しいのは自分のせいなのだから、仕方ないことだ。なのに、わたしはそれをよく忘れる。本当に気持ち悪い。直せるのか、直さなきゃいけないのか、直したいのか、なおさなくていいんじゃないか、常に気持ちが同居している。


自分のことを自分1人では直せないということはよくわかっているのに、他人に助けを求める強さがわたしにはないのだ。


ありがとうございました。

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