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- ヴィヴィ -

今期のアニメ作品「VIVY -Fluorite Eye’s song-」

『フローライト』とは、豊富なカラーバリエーションを持つ天然石のことで『天才の石』とも呼ばれているそうな。また、抑制された感情を解放して、心身を癒すヒーリングストーンとしても効果的なものらしい。

色ごとに持つ意味や効果に違いがあるとされていて、青は知性、紫は浄化、緑は癒し、黄色は希望などなど。

こうやってタイトルから知らない単語の意味を抜き取ると尚更作品が面白くなりそうです。

ちなみにヴィヴィの瞳は青だけれど、ここら辺は由来はあるのかな。でも、今回の場合は瞳の色と言うよりも、その瞳、存在がフローライトだったとして「思考力と癒し」ってところだと思う。

AIとしてVIVY自身の思考力と、歌姫AIディーバとして[歌でみんなを幸せにするために]という使命としての癒やしの部分。(という願望。)

AIはみんなフローライト、、天然石だったのか、、(という願望。)

ちなみに天然石とは、人工的に作られていない鉱物や岩石の総称で、ダイヤモンドも、道端に落ちている石も天然石と呼ぶらしい。


歌姫AIって夢があるよね。これは完全に私の好みなんだけど、将来AIが発展した世界にディーバみたいな歌を歌う歌姫がいたら胸が踊る。このアニメ作品としてはディーバの歌唱を担当している人(Vo.八木海利さん)はもちろん人なんだけど、本当にAIが自分の思考で歌を歌う世界があったら私は体験してみたい。

そんな夢も見させてくれるアニメ作品だなと思いながらも視聴しています。


こんなことを書きながら、そもそもAIとは何だっけと言う疑問が浮上。

AIとは、、、つまり機械が自ら学ぶことが出来る。しかし、AIはゼロからイチを生み出すのが苦手である。そして正解を導き出すのも苦手である。

第6話でマツモトが言ってました。

「かわいいを導き出すなんて、最も僕たちが苦手な分野じゃないですか。」

あれはAIが正しさを導き出すのが苦手って意味だったんですね。だから、AIは一体につきひとつの使命を与えられる。1話冒頭にも説明があったような。あの1話冒頭のディーバがエラーを起こしてアーカイブに潜るまでの流れ、美しいです。

そう思うと、なぜマツモトはシンギュラリティー計画を実行することが正しいとそう思っているのか。計画実行後の100年後にまた、AIと人間との戦争が起こらないと思っているのか。いやでもマツモト自身も使命を与えられたAIか。。最後、結局AIと人間との戦争は起こる気がするんですよね。。滅ぶまではいかなくとも、AIと人間との関わりかたを変える歴史は必要だと思う。

あとはやはりヴィヴィはどんな回路を持ってしてシンギュラリティー計画を実行しているのか、ヴィヴィの深層心理がやはりとても興味深いと思っていたけれど、実に現実に忠実に演算を重ねた結果。ディーバとしては「歌でみんなを幸せにするために」と言う使命のためで、

ヴィヴィという名前が「モモカ」からもらった名前だということを考えれば、モモカに与えられた使命なのかもしれない。モモカを助けられなっかたという気持ちはディーバもしくヴィヴィに大きな考えを与えたのかも、意外にもモモカの存在はこの物語の基盤なのかも。うううううう

モモカは劇中で唯一マツモトがやってくる前に関わっていた人物。シンギュラリティ計画がなかった正史でも出会って関わっていた人間。だよね?

モモカに名前をもらっていなかったらヴィヴィはヴィヴィとしてシンギュラリティ計画にこんなにも意志的に取り組むことはなかったかも。モモカが亡くなったのが100年後のAIと人間との戦争に関係の無い、救えない命だったから、AIと人間の衝突での人間の死をより避けようとしたのかも。

ディーバはシンギュラリティ計画において少しでも犠牲が出る事を嫌がっていたけど、モモカがなくなって以降に、サンライズの落下を防ぎ、モモカの妹ユズカを助けてからはきっとどこか必ず、シンギュラリティ計画が、人間を、AIを救う事だと確信のようなものを持ってしまったのだろう。

エステラと共に救ったものを守らなければいけないという、モモカが与えたヴィヴィという名に意味がついた。そこからは100年後の戦争を止めるためにマツモトの言う通り、ヴィヴィとして計画に順守しようとした。

「怖気付きました?」

「いいえ、ここで怖気付いては使命に生きたみんな(AI達)に申し訳ないもの。」

ディーバはヴィヴィとしての使命を肯定し、これまで関わってきた人やAI達のために動いた。

そしてそうしたなかでのグレイスの破壊。

そうやってメタルフロート編が終わったかに見えたけど、最後におきた冴木博士の死。AIを滅ぼす為のAIとして、使命に生きたAI達の死を受け入れて、滅ぼすことを目的に計画を遂行したヴィヴィ。これまでの計画ではAI達の滅びを受け入れることで正史では失われていた命と使命を救ってきた。しかし、モモカの事故死とは違い、ヴィヴィ自身が遂行してきたシンギュラリティ計画によって正史では失われることのなかった命と使命を失わせてしまった。AIを滅ぼせば世界の歴史は改善される。その時初めて、シンギュラリティ計画において関わった人の犠牲が出た瞬間だった。エラーはヴィヴィがヴィヴィとして使命を果たした結果、ディーバとしての自分を忘れ、冴木博士とグレイスに思いを寄せなっかった自分への悔みを表したものだろうか。エラーを起こしたあと再起動されたディーバは、オフィーリアの自殺の阻止において、サンライズ事件の時のように、まずは疑いをはらすことから始めようとしている。

(言い方は好きでは無いけれど、「人は一度成功すると味をしめる」とつい最近どこかの記事で読んだな。。)

そこから今後のオフィーリアの自殺を阻止するという展開になって、同等の死の意味を持っていく人間の死とAIの死という課題にどう向き合っていくのだろう。。世界はヴィヴィとマツモトのために動いていない。それをマツモトは自覚しているのか?んんんん、、再起動したディーバはそこらへんをなんとなく知っていそうだ。

7話でヴィヴィとしての記憶を失ったディーバがヴィヴィの存在を滅ぼす事になるのだろうか。マツモトはヴィヴィおよびディーバに滅ぼされるのではないか?

- これは「私」が「私」を滅ぼす物語 -

そういえば第2話でディーバはこんなことを言っていた。

「私達AIはどれだけ可動するかではなくて、どう稼働し続けるかでしょ。」

- これは「私」の100年の物語。-


1話から振り返っているけれど、第7話の

「お客様の笑顔を大切にしてきただけよ。」とか、

「人は圧倒的なものを前にしてただ立ち止まるの。」とか、

「電卓にされたい?」というナビへのいじわるは

ステラやん、エリザベスやん、って思ったら少し悲しい、、、


8話はついにAIがAIをじぶんの理想のために殺したような雰囲気になっていたが、オフィーリアは、、

ふー、何回も見ないとここまで解釈が辿りつかない自身に悔しさは感じるが、とっても楽しいのである。

綺麗ですね。胸が躍ります。

「こいつは救わねば。」と思ってもらえたら是非サポートお願いします。