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"lookism"、若しくはessai"ささつ"

Twitterだと文字数が零れてしまうので、此方に。

当初、入間人間さんが『佐伯沙弥香』を、「lesbianとして"決めうち"」して描いたことに、読了後に違和感があったんですよね。企画段階で、"ささつトンマナ"の摺り合わせは、仲谷先生以下に設けられていたことと思います。外部的な要因に立てば、ジャンルに『特化』、要はキャラクターの立ち位置や輪郭を明確にした方が、(out-reachしないかわりに)"risk"を最小化出来る。spin-off企画なので、大々的な成功というより、失敗の回避に照準する。つまりマクシミン戦略が『正解』。加えbudgetの見込み、稟議の見通しが立ちやすい。つまり所与として「lesbianとして"決めうち"」は決定事項であり、「入間人間」のpick-upとは、"ささつ"にどうタマシイを埋め込むか、という職人技への期待に寄せる。読んでいて強く印象に残ったのは、入間の始終張り詰める、"職人気質"の凄みだった。精度・確度が、著しく高い。(※職業作家に失礼)

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「優等生」の"佐伯"にとって、initiationとなる存在が『七海燈子』であった。"成熟"を描くには、『分断』を経る必要があり、被投から投企、"ニーバーの祈り"が、"切り取れあの祈る手を"に、engagementする為には、わたしは『七海燈子』がerosとして好きなのだ、とするidentificationが必須となる。その披瀝があることで、終局描かれる、小糸侑に拓かれるsister-hood、七海に示す"compersion"が際立つ構成、つまりは"成熟"の顕れ、が得心いくものとなる。

"significant others"となる喫茶店echo店長。彼女は『echo』の名の通り、Mentorに徹する。「静止衛星」に相応しく、アドバイス(advocacy)はしない。"佐伯"の自律性に抵触しない。そんな彼女は、生徒会副顧問の『現国の先生』と違い、lesbianとしての性自認を持つ。

「やが君」シリーズ共通の地平に『顔』へのfeatureがある。私見として断ると、"lookism"という概念が「素朴に流通」してしまうのには"否定的"で、その思いから、仲谷が『顔』に立脚してみせることに、過剰反応しているだけかも知れない。"lookism"唱導に対する留意。ここにはふたつの含意がある。

売れる前の、お笑い芸人の追っ掛けをしている女の子が、数多の埋もれる芸人予備軍に、"或る才能"を見出した瞬間、只人が途端に「格好良く」見えてしまう、という。『格好良い』とは本来そういうもので、常に"結果"でしかない。このepisodeがあまりにも本質的で、"lookism"にまつわるあれこれとは、未熟さの過渡にある"勘違い"のような気がしてしまう。『lookism』を"素朴な意味使用による流通"ではなく、永久運動として、つまり人類の終わりなき"努力目標"として唱道し続けるのであれば、それは否定出来ない。"言挙げ"とは、差別がなくなって"いないこと"の顕れであり(≒否定は配慮の現れ)、差別への対抗言説として賦活し続けるのであれば、"建前"であってもそれを唱える価値はある。しかしながら、"lookism"を唱える以上、外見至上主義は絶対に無くならない"前提"を、引き受ける必要がある。

もうひとつ。とは言え、好みの『顔』は、ヒトそれぞれ"ある"ように思う。美人投票に喩えられる、客観的な(≒期待される)美醜とは違う、しかし無意識、無条件に"100"で好きだな、と思う『顔』。それはもしかしたら、単なる"慣れ親しみ"がみせる、錯誤なのかも知れない。どこかで発生する刷り込みなのか(nurture)、遺伝的pre-setなのか(nature)、循環過程にある"現在"から推測することは出来ない(逆因果)。ただ無造作に写真をpickupしてみると、びっくりするくらい正確に、この『顔』、というのが浮かんでくる。自分にガッカリするとともに、他人にも程度の差こそあれ、そういうものがあるのかな、と思ってしまう。だとすれば"lookism"を唱えても、"事実"を覆い隠すだけで、意味を持たない。好きなものは、好き。己をcancel出来ない。無論、だからこそ『お題目』として、"建て前"として、政治的意思表示として、lookismを"永久"に唱導する必要がある。

『好きな顔』というのは、掘り下げるとよくわからない。
『顔』が好きだから"好き"なのか、"好き"だから『顔』も好きなのか。撞着する。「やがて君になる」は、徹底して"而二不二"貫く物語。仲谷は『顔』、つまりはlookismを梃子にして、lookismを内破する。

綺麗な顔がなくなってしまうのは、とても残念だけれど、それでもきっと、燈子のこと好きよ

もしかしたらこれは、"事実"でなくなる日が、やがて来るのかも知れない。
それでもきっと、この時の、紛う方なき本心からの、"真実"であろう。

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「lesbianであることの必然」には残念ながら強度に欠ける。喫茶店echo店長と、共に在ることの"role-model"、"現前性"がもたらすmimesisは、本編併せ読むと(「こよみ」と"憧れの小説家"の関係に、重ね焼きされている)、佐伯にとって掛け替えのない、大きなものだったのかなと、思う。

『やがて君になる ~柚木千枝について~』

「ユズ」
・果実は"橙子"の呼称
・"桃栗3年柿8年ユズの大馬鹿18年"の謂(成長が遅い)
・収穫時にその実をすべて収穫しない"木守柚"
・「春(ハル)」以外を網羅(花は夏、果実は秋、柚子湯は冬、の季語)
・酸味が強い
・橙色(ダイダイ)
・メインにはならない

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