原理的に考えれば

英国がcolonial政策から手を引いたのは、人道的な観点というより、経済合理性に拠るところが大きい。要はemerging countryの"人口"を、"新規顧客"として迎え入れる、『規制緩和による経済賦活』のanalogyを見て取れる。無論これは、国内に投射されれば『黒人の発見』や、『女性の発見』に類するもので、新規労働力+顧客増加、つまり段階的な規制緩和による、GDPの増加を意味する。

余談だがTax-havenの背景には、英国王室と英国議会の深刻な対立があり、簡単にいえば、怒髪衝天をつくroyalなtribeは、独立採算は勿論、英国(代表する"議会")にビタ一文税金なんか払うか!となり、英国王室にroyaltyを誓う租界、つまりは国旗にunion-jackを埋設しているemerging countryに"合法的"に回避する、というplotになっている。Tax-havenの技術的な解説はあれど、この背景に言及しているのは寺島実郎氏(『ユニオンジャックの矢(NHK出版)』)くらいで、intelligentsiaには自明なこととされている。今風に言えば、Washington-consensus(post Washington-consensus)や、SDGsのような"胡蝶の夢"(≒match-pump)を、"漢意"と喝破し退けた本居は立派だったな、と思うが、吉田松陰や坂本龍馬ら"スター"に隠れて、なかなか見えてこない。

原理的に考えれば、"耐久消費財"(自動車、家電"三種の神器")が一巡した時点で、つまり"家電の普及"による『労働集約から資本代替(automation化)』と、その飽和を意味する『買い換え需要によるパイ内側のshare争い』にgameが移行した時点で、労働力としての女性は『発見』されていなければいけなかった。事実、東南Asiaに拡がる新興国は皆、家事のautomation化・外注化が順次進んでいる。"GALAPAGOS"なmoratoriumがここにも見て取れる。

与信の出来ぬ銀行は土地を担保にペンシルビル建立を勧め、投資利回りのいい節税目的ワンルームマンション建設rushと、"個"の流出・流動化に伴う新規住宅・家電需要の創出(≒parasite-single)、匿名性上昇と社会不安"増大"によるSecurity産業の活況(セコムは旧東京Olympic年創業)、これら全てを後押しするトレンディードラマの隆盛、重ねてイエ制度による"特殊文脈"により、『女性の発見』は遅れに遅れ、平成不況が深刻化するころ、"非正規労働者"と名を変え経済界より照準される。雇均法改正86年から数十年後、構造的不況を背負い、産業構造改革を"spoil"するnoise-cancellerとして、にわかに『女性労働者』は機能し始める。消化試合の敗戦処理投手として、やっと登板機会を与えられる。疲れ果てる彼女らをbufferingするのは、meta-physicalなコンテンツ産業。鬼化せぬようやんわりと、しかし着実に、"鬼殺し"の繭で包んでいる。

無論、背景に横たわる、invisible-workの指摘は理解出来る。子育てを終えた"お嫁さん"が、間断なく介護に追われ、他の選択肢が見えぬまま、闇雲に"scheduling"に突入すれば、"適応障害"を惹起する。ここに更年期障害も重なっていく。本人が悪いというより、con-textの変容に気付かぬまま、既存制度に寄りかかるのが"間違い"なのだが、misogynyとmisandry(→複数形『相対的剥奪感』)、dis-communicationの地平で、力学energyは均衡、長期安定してしまう。そして、この領域は、しばらくは『家電』には代替されない。少し前、およそ"Osprey"3機分で"家庭内厚生"全般をfinance出来る旨の報告が挙がったが、事実上無視されてしまっている。

個々の女性の抱える深刻さに思いを馳せ、共感もする。だがpost-colonial領域全般いえることだが、感情を手当てする、当事者性の賦活に役立っても、外的には"ガス抜き"以上の意味を持たない。それは『文学』と大して変わらない。実存の金切り声を文学的に昇華出来れば死んでもいい、とする戦中白樺派を思い出してしまう。

んが、しかし。feasibleに棹指せば、Amazonの内側で、Amazon批判(『The BOYS』)を徹底してやっている米国を見習い、文学部廃止ではなく、文学的素養を徹底することでしか、つまり"内側から手を突っ込んで奥歯ガタガタ"いわせないことには、この問題は解決をみない。その意味で、現在進行で連載及びanimation配信中の『無能なナナ』は、"今"をよく露わしている。これは見た目や題名がミスリーディングを誘う、"いろはす的サ・シ・ス・セ・ソ" のススメであり、いわゆる『女の子の"identitification"』の話ではない。"実存の金切り声を文学的に昇華出来れば死んでもいい"とするnarcissismの対に位置する、"働く細胞"の白血球さん、こと"ゴブリンスレイヤー"と共時する。留意すれば、narcissismを否定する、それが究極のnarcissismであることに気付かない、を露わにしたのが白樺派で、ゴブスレさんは仲間に拓かれることで、とりあえずそれは回避した。"働く細胞"にはそもそも自意識が無い。『無能なナナ』はまだ結末をみないとわからない。自意識に回収せず(≒セカイ系に堕さず)、最後まで"The BOYS"であって欲しいと思う。

既存powerに"powergame"を挑んでも勝てない。一方で、中国を見てもわかるように、"人道"を言挙げしても無化に帰す。既powerが食いつく、それなりの『合理性』を示せなければ、何も前に進まないのだが、このlevelの話でさえ、合意形成してるとは言い難い。完全情報化とfacilityの徹底、両輪による駆動が、後に"希望の轍"を残す。個人的には『鬼滅の刃』の"無限性"に、結構な示唆を読み取るのだが、流通する評論を眺めても、"的外れ"が目に付く。時間があるときに、書いてみようと思います。或いは、相応の立場にあるのなら、"trafficの9割を占めるspam"に貢献せず、その"obligation"を果たして欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?