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沢田研二 2021 ソロ活動50周年ライブ「BALLADE」 東京国際フォーラム 5月28日評。

沢田研二 2021 ソロ活動50周年ライブ「BALLADE」評

 COVID-19、新型コロナウィルスは我々の生活に分断をもたらした。昨年に予定されていた2020年3月11日にリリースされた『Help! Help! Help! Help!』に伴うツアーも中止になった。2020年に行われた沢田研二のコンサートは正月ツアー『正月LIVE 2020 名福東阪阪東 寡黙なROCKER』のみであり、今回のコンサートは1年半年ぶりであった。今回のコンサートが開催されるかどうか、かなり気を揉んだ。
 今回のチケットが販売された時は緊急事態宣言の前であった。ゴールデンウィークと同時に発令された緊急事態宣言は5月11日までであったが、31日までの延長がアナウンスされた。ゴールデンウィーク中のイベントは5000人を上限として、収容率は収容定員の50%を上限とした。そして、どちらかのいずれか小さい方という要請が入ったのである。東京国際フォーラムの定員が5000人ならば2500人である。事実同会場で予定されていた松山千春の13、14日のコンサートはこの条件を勘案して中止になったのである。
 一時期、さまざまなSNS等でコンサート開催について、多くのファンが気を揉んだのも事実で、開催か、否か様々な意見が飛び交った。
 そして、澤會のホームページで詳細な感染対策が掲載されて、東京国際フォーラムの公式ホームページで今回のコンサートが正式にアナウンスされ、我々はコンサートが開催されることを確信したのである。
 当日、緊急事態宣言下でコンサートが開催される喜びを噛み締めつつ、有楽町の東京国際フォーラム、ホールAに向かった。そこで目にしたのは何処で終わるともしれない、長蛇の列である。後にジュリーの口から語られることになるが、チケット半券の裏に電話番号と名前、アルコール噴霧、体温のカメラによる確認など、この時期に5000人規模のコンサートを主催、準備が大変で25分開演まで押すことになる。しかし、殆どのファンはルールを守り、整然と並んで順番を待っていたのは賞賛に値するだろう。開演が18時で、並んでいる間に時間は迫っていたが誰も慌てていなかったのである。ステージにある、開かれない赤い旗が気になったが。
 そして着席すると、会場は静けさに包まれていた。観客は澤會等でアナウンスされていた「お願い」を忠実に守っていたのである。開演のブザーが鳴ると万雷の拍手。誰も声を出す人はいない。
 そして左袖から、沢田研二と柴山和彦が登場する。その瞬間に会場の天井を突き抜けるのではないかと思うほどの万雷の拍手。声援は感染対策を厳守して一切ない。沢田の出立ちは紫に金の飾りが付いたコートである。煌びやかな出立ちである。そしてショーの幕は切って落とされた。
 注目の一曲目は「BALLADE」では無い、バリバリのロックチューン、『30th Anniversary Club Soda』である。これまでライブで何度も歌われてきたが、今回は格別である。
「終わらぬショウへ さあようこそ Ladies & Gentlemen 愛してます」
 新型コロナで分断された我々の日常。一年半年ほどの月日を経て、昨年正月公演を行った東京国際フォーラムで遂にファンとの再会が叶ったのである。登場した瞬間から沢田は万感の思いで会場を見ていたことだろう。柴山和彦も少し涙ぐんでいるように見えた。最後の「ダ・ダ・ダ〜」の件は、これまでライブで歌えなかった鬱積した感情を吐き出すかの様であった。
 新型コロナ禍の中で、緊急事態宣言の中でライブが開催できた喜びが、沢田のシャウトから溢れ出ていたのだ。それにファンも呼応するが、あくまで拍手のみ。ある意味新型コロナ禍だからこその光景だろう。何度も味わうことができない、国難を乗り越えて集結した同志だからこその、温かい思いやりにも通じた優しさが会場に漂っていた。曲が終わると国際フォーラムの天井が突き抜けるのではないかと想起させるほどの拍手であった。
 そして2曲目はあの歌…。『時の過ぎゆくままに』である。阿久悠、大野克夫コンビが、阿久悠原作、上村一夫漫画、そして、久世光彦演出、長谷川和彦脚本という伝説的なTBSのドラマから派生した曲であるのは論をまたない。三億円事件をテーマにした曲なので個人的に「三億円の元を取った名曲」と呼んでいるが46年を経た現在でも色褪せない、男女の普遍的なテーマを綴っている。オリジナルのキーを維持しながらも、還暦の東京ドーム公演で感じた様な成熟した男の色気が曲から漂っていた。見事だったのは柴山和彦で、ギター、ベースライン、ドラムと全てをカバーしていた。以前芸能生活50年の51曲ライブで1番のみ聴いたことがあるが、フルで聴けて感無量であった。無論万雷の拍手。周りのファンはハンカチで目を拭っていたのが印象的であった。そして、沢田は観客に語りかける。
「こんな大変な時に、こうして駆けつけて下さって、嬉しいです。緊急事態宣言が6月20日まで多分延長になったと、決まったと思うんですが、えーそんな中、本当にこうして無事に客席100%、まあ、1番前はとにかく、私の、(笑)かぜが行かない様に、安全圏、前の一列目だけは、業界用語で言いますと、『殺している』ということでございますが、お席にしておりません、そんなこんなで、無事にこうして、出来るという今日を迎えたことはいろんなことが、幸運が、かさり、重なり、もう重ね、重なり、もう、重なりまくったというようなことで、こんな事になって、えー。一昨日でしたか、『週刊新潮』さんでしたか、こんな時に、100%で勇気がある行動が業界に一石を投じるのではないでしょうか、(拍手)、そんなことでは無いんですよ、そんなことでは無いんです。偶然が、偶然が、偶然を呼んで、こうなった訳でございまして、何も悪いことはしておりません(笑)(拍手)そんなふうに、歌えることに、こうして皆さんに直接お会いできることを、感謝して、最後まで勤めたいと思います。お馴染みのメンバーです、フィジカルディスタンスを保って、ギター、柴山和彦(拍手)ありがとうございます、それでは、最後までどうぞ、ごゆっくり!」
 そして3曲目は『君をのせて』である。後に沢田の口から語られることになるが、ポリドールから発売されたソロ一作目である。沢田自身、布施明が歌った方がいい等、この曲を避けていた時期もあったが、今では定番と言えるほどコンサートで歌い続けている。作詞はザ・タイガースで唯一作詞した名曲『風は知らない』を手がけた岩谷時子先生、作曲は宮川泰である。デビュー時と変わらぬ音域に魅了されてしまう。これは「生」でないと接することが出来ない空間なのである。沢田の胸にはデビュー時の思い出が去来したのであろうか。
 そして加瀬邦彦作曲、安井かずみ作詞の『追憶』である。最近発売されたNHK、TBSのDVDでも沢山収録された名曲である。72歳のニーナが聴ける。それに勝る喜びはないだろう。名曲は永遠なのである。
 そして『海にむけて』。加瀬邦彦とジュリーが組んで生み出した佳曲である。2015年の加瀬邦彦追悼の意味合いを込めたセットリストで最後に歌われたが、今回のコンサートで歌われることで、改めて加瀬さんへの揺るぎない愛を感じたのである。
 そして新鮮に聞いたのは『あの日は雨』である。爽やかな曲調で私の心に心地よく響いた。そして次は『コバルトの季節の中で』である。『あの日は雨』のシングルの並びを再現した様に思える。『コバルトの季節の中で』は久世光彦が小谷夏名義で作詞をして、沢田研二が曲を書いた。謹慎期間の中で久世が沢田に前向きで明るい曲を歌って欲しいという願いを込めて書き上げたのだろう。ソロデビュー、50周年。その中で、歌唱という形ではあるが阿久悠、加瀬邦彦、久世光彦、安井かずみを追悼したのである。
 そして、反原発の曲が続く。『根腐れpolitician』、『三年想いよ』である。『三年想いよ』で沢田は掌を上に突き出し、東日本大震災の収束が叶わぬ被災者を象徴している様に私は思えた。殉教者のような雰囲気を漂わせている。正に「嘆き」、「怒り」である。
 そしてまさかの再登板は『雨だれの挽歌』である。阿久悠、大野克夫コンビは膨大な名曲を残したが、比較的地味な部類に入る。70歳の時のライブにセットリストに入ったが、今回も演奏されるとは意外であった。
 そして、驚いたのは『TOKIO』である。最初は何の曲だかわからなかった。グランジっぽいダークな曲調で、我々に馴染みがある『TOKIO』とはかなり異なる。「L452R」と新型コロナウィルスのインド型変異ウィルスの名を曲間に挟みながら、囁く。体を捩らせながら苦悶の表情を浮かべながら歌う沢田。1980年代に糸井重里が書いた華やかで、憧れの東京とは程遠い現状。沢田は山本太郎の応援演説以来、公式に政治的発言を少なくしている。今回のキーを下げて、ダークな『TOKIO』は新型コロナウィルス、混沌としている東京オリンピックの状況、機能しない政府、ワクチン。東京の現状を直裁的ではなく曲という形で生で観客に訴えかけたのである。麗しき80年代を象徴する『渚のラブレター』。そして、新型コロナ禍で困難な日常に生きているが、『明日は晴れる』。沢田からのポジティブなメッセージである。『ISONOMIA』ではいつまでも攻めの姿勢でいるジュリー現在といったところだろう。
 『届かない花々』は我々観客にジュリーからもたらされた満開の桜のようであった。
 『いくつかの場面』。芸能生活50周年や、節目節目で歌われた河島英五が遺した名曲である。新型コロナ禍の中でこの日を迎えられた。万感の思いがあったに違いあるまい。最後に抱きしめた人たち。萩原健一、内田裕也、加瀬邦彦、安井かずみ、阿久悠、久世光彦…。そして沢田研二は生きている、歌っているのだ…。
 アンコールを求める拍手の中、しばらくして沢田は現れた。そしてファンに語りかけた。
「ありがとうございます。思いの外、あのー、えー会場から思いの外、時間がかかってしまって、えー、えっと、25分押し。えー、もっと長く押したこともあるんですが、大宮かどっかでね。(笑)もお、すっごい皆様を待たせてしまってしまったということがありまして、そういうことがあるのかな?あのーチケットの半券のところに名前を書くとか、あのー、ね、消毒するとか、体温測るとか、もう初めての経験やからなあ。ましてや、その、50%じゃないから大変やったとか、スタッフが大変やったよな。もう最初10分押しで、10分かと、曲を端折るわけにはいかんしな。そんなことになったんですけどね。まあ、あの、話が前後しちゃいますけど、気分的に早くやらないと、早くやらないと、という気分になっていたんで。今日は私のソロ活動50周年記念(拍手)、いや、もう、歳とっていたら、すぐなんか、めでたい事がおこるわけやんか。でも言うたら4年前に50周年やってんやから、芸能生活50周年、タイガースから数えて50周年というのをやったわけや。えー70歳になったから古希のお祝いを、その時からカズさん(柴山和彦)と2人だけでやってるんですけど、でもそれも2年、だって今年もう3年目やねんていうことですよ。えーその50周年というのも、昭和46年11月1日、『君をのせて』という曲で、その年でまあ、レコードを出したわけですね。ええ、まあ、それ以来ということで50年、54年くらいかなあ、もうやってるんですけど、えー、なんか今回の新型コロナの予想もしなかった。えー、去年ですか?正月、ここでやった(東京国際フォーラム)ここやったよな?ここでやった。その時すでに武漢が大変やっていうことを、ひた隠しにしてた訳や。なんか、なんかね、武漢で大変なことになっているらしいということは、ちょっと耳に挟んだことはあるんだけど、それが結局こんなもんになって、今日もまた、緊急事態宣言が。でも、緊急事態宣言でもこうやって出来て、よかったんやけど、その、皆さんがこんな最中に、えー、来ていただけるもんだろうか?という、その心配もしていました、というのは、緊急事態宣言が出ていない時に売り出した(チケット)んですよ。そしたらあっという間に売り切れたんですよ。(拍手)根強い人気のジュリー(笑)何が根強いやでなあ(笑)せまーく、濃くやる(笑)もうね、自分のことをちゃんとしてないとね、世の中しっかり生きていけません。そう思っております。まあ、あの、ソロ活動50周年なんていうけどね、いやーもうねぇ、なんか本当にこれだけ、1年以上、歌わなかっだということは、無かった訳だから、ということは皆さんも1年以上、私の歌を生で、ましてね、お金を持っているプロダクションとかさ、あのー、何?『配信』とかいってな、そんなんやって、僕の場合はよ、意味ないじゃん。(拍手)それでね、あのー、出てこれないから、出てこれないから、という様な人は、まあ、申し訳ないけどね、やっぱり違うよ、どんなね、どんなヘタこいてもね、あのー、変になってもさ、生はね、違うでしょ。(拍手)あのー、よくやってらっしゃるお芝居環境の人たちで無観客で配信だけでもっていってるけどね、あれね、やっぱりね、劇場行かないとね、寝るって以上のね、切ってしまうんやろな。いや、と思うよ、観たいところが観れないんだもん。芝居だって、なんか変なところでアップになったりする訳でしょ。そんなのやんか。僕なんかもうアップに耐えられるような顔じゃ無いからもう。そういうのやめて、ずっと引きにしといて。あのー膝から上のショット以外はそれ以上は指示出してはいけないみたいな、そんなお触れを出さないかんみたいなことになるわけなんですけど、でもまあ、あの-こうして、えーっ、このままずっと、もういつ終わるかわからない、今年に入ってからですよ、想像を超えていたからね、だから、あのーそれこそ、えーっ、2020年の4月ごろから、もうえらいこっちゃとなって、秋頃にはなんとかなるんじゃないかという読みはあのー、一般的にはされていたけど、僕はもう、それこそ11月に最後にその年のツアーを11月頃に既に決めて売り出しもして、やっていたのに、それだから、でも、多分、今年はダメだろうと、僕は思っていた訳やん。でー、それで、あの、年が明けて、温かいなってきたら多少は、ちょっと、もうちょっと、いい様な状況になると思っていたんですけど、それもダメで、なんか現地の人がそれで本当にその、3月くらいの時点で、5月頃ならまあ、なんとか、もう少し収まって欲しいという希望的観測のもとに、5月頃には安心安全なライブが出来る様にという思いを、えー、まあ、持ってたわけですけど、それも、あのー実際問題、ずーっと、いい感じであの、なんとなく、来てたんだけど、結局、緊急事態宣言になって、元々が5月31日までが、その範疇だったのが、その僕が売り出した時期というのが、その宣言中じゃなくて、それであっという間に売れちゃったもんだから、100%で売って、よしとされたわけで、静かな曲を集めてやるということで、100%でやってもらって結構ですということを聞いて、既に100%で売っているんなら、もう最大限の注意を払って、主催者、スタッフ、えー出演者全員で安心、安全にご覧いただける様に努力しようということでやったわけです。えー、まあ、もう、ほとんど、閉店間際になっているわけでごさいますが、もうラストナンバーに入る時間で、残念ですが、えー、しかし、あのー、僕としては希望的な観測ですが、秋にはまたライブを(拍手)今回は東京、名古屋、大阪だけだったですけど、それに加えて、えー博多、京都、奈良、それも増やせればと思っております。それから神戸、それぐらいのライブが出来ればいいなあと思います。勿論それは、50%でもやろうと思うし、えー、そして、まあ、あのー僕としては、まあ、あのー、『キネマの神様』に関しては、えー撮影も無事に終わって、えー上映日がどんどんどんどん遅れて8月6日だ、そうです。えー、それと前から言っていた、1年を通してやる仕事があると言っていましたが、やっぱりこの新型コロナで延び延びになって、まだおりられない、そういう状況です。まあ、いろいろと制作のスタッフに迷惑がかかるので、なかなかはっきりとしたことは言えないんですけど、ちゃんと話になったら、僕の口からお話をしたいと思うております。まあ、そんなに勿体つけるほど、大した仕事ではありません(笑)かと言って大した仕事じゃないと言うと、一緒にやって頂いているスタッフの皆さんに申し訳ない(笑)ちゃんとした仕事をやっております。(拍手)年齢を重ねていきますと、ちょっとした先の目標がないことには、なかなか、えー明日への歩が進められない、えー前に進めないというようなことになっておりますので、どうか皆さん、あのーね、希望を持って、それまで私も一生懸命頑張りますので、どうぞ皆さんも、生きててくださいよ!、生きててくださいよ!お願いします!
 それでは、改めて、えーギターのカズさんを呼びましょう。柴山和彦!」
そして、沢田は神妙にこう、観衆に語りかける。
 「それでは、オマケです。」
『ヤマトより愛をこめて』。「さらばと言わせないでくれ」。ショーも終焉に近づいているが、名残り惜しむかの様な沢田の歌唱が愛おしい。
 そして最後は『ハートの青さなら空にさえ負けない』はポジティブで突き抜けるように雲ひとつない青空を思い起こさせる。ある意味、レアな選曲だが、今回のツアーのラストには相応しかったのではないだろうか。
 ステージ上にあった、赤い旗の正体は明かされなかった。それは以前のライブで話していた情熱の赤い旗だろう。さいたまスーパーアリーナなみならず、人生を熱く生きていく沢田なりの証であると、私は受け取った。私は沢田が活動を辞めるまで、アルバムを手に取るし、ライブにも足を運ぼう。同じ時代に同衾出来た喜びを噛み締めながら。
 コンサート後に退場を促すスタッフの言葉に沢田への愛が溢れていた。この様な側近が居れば、ジュリーの音楽活動は末永く安泰であると思いながら家路に着いたのであった。

沢田研二 2021 ソロ活動50周年ライブ「BALLADE」

2021年5月28日(金)
セットリスト
東京国際フォーラム ホールA

1. 30th Anniversary Club Soda
2. 時の過ぎゆくままに
3. 君をのせて
4. 追憶
5. 海にむけて
6. あの日は雨
7. コバルトの季節の中で
8. 根腐れpolitician
9. 三年想いよ
10. 雨だれの挽歌
11. TOKIO
12.渚のラブレター
13. 明日は晴れる
14. ISONOMIA
15. 届かない花々
16. いくつかの場面
アンコール
17. ヤマトより愛をこめて
18. ハートの青さなら空にさえ負けない

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