見出し画像

寂しいです。萩原健一さん、愛しのショーケン。

萩原健一さんの三回忌が過ぎた。それは私の本が発売されてから2年という時間を経ている事を意味する。無論、私は萩原さんとは一面識もない。テレビやCDを通じてしか人柄を知らない。
 2021年10月23日に阿佐ヶ谷のネオ書房様で沢田研二と萩原健一のイベントを行った。そこで何気なく思い出して話したことが自分の事ながら、感慨深かったのだ。
「2015年に加瀬邦彦さん追悼の曲目のライブから沢田さんを追っかけてきました。それからブログでライブ評から、沢田研二と阿久悠先生の関わり、それに付随した評伝を書く様になり、ある時期に一冊の本に纏められるのではないかとある日思い立ちました。
 そこでブログを土台に文章を再調査しながら本にすべく集中しました。そこで意識したのは存在しない沢田さんの視線でした。事実関係に齟齬があったら大変なことになる。その緊張感の中で執筆したものでした。そして萩原さんです。ザ・テンプターズとザ・タイガース。PYGで沢田さんと交流があった萩原さんに触れないわけにはいかない。そこで、私は大いに緊張したわけです。基本、この本の(『沢田研二と阿久悠、その時代』)の主人公は沢田さんと阿久先生ですから、あまり萩原さんについては、それほどページ数を割けない。なので沢田さんに注目していた、作家、森茉莉を交えて『ラストダンスを私に』を歌う萩原さんについて触れた森さんの文章を通じて、それを生かしながら活写することで、沢田さんとの交わりを描いたわけです。
 その時は1番緊張しました。萩原さんはドラマやライブも再開されていたので、お元気だと思っていました。何か変なことを書いて「おい、この野郎!」と怒鳴り込まれたらどうしよう(笑)と緊張しながら萎縮しながら丁寧に萩原さんについて書いたことを思い起こします。
 本が発売されたのが、奥付けでは2019年3月11日ですが、Amazonや書店さんに行き渡ったのは3月20日くらいなんです。それから3月26日になって萩原さんが亡くなることを知るわけです。それに昔からジストという難病に侵されていたなんて。
 2019年5月15日に発売された『ショーケン 最終章』に色々詳細は書かれていますが。『鴨川食堂』や、2018年には『不惑のスクラム』、そしてビルボードでのライブなど亡くなるギリギリまで仕事をされて燃え尽きた訳です。
 でも僕は自分の本が萩原さんに届かなかった。その寂寥感はありましたね」
 この様な内容を冒頭にお話したと思う。評伝を執筆する場合、大体物故者を扱うことが多い。例えば三島由紀夫について書く場合は広まっている事実と間違いがない様に書く。無論冥界にいる三島を意識するが、大体は三島由紀夫ファンの視線である。
 しかし、沢田研二、萩原健一という当時存命であった人物に触れて、一冊の本を書き上げるという無謀な旅に挑んだ私は、一年以上精神を削り、寿命を短くしたような複雑な思いがある。
 しかし、私の本はショーケンには届かなかった。いや、奇跡的に届いたかもしれない。まあ、届いていないだろう。あの時の複雑な、残念な様な安心した様な、しかし、寂しい、悲しい気分は二度と体感することはないだろう。
 私が今描きたいと思う人は皆夢の中なのだから。


画像1

画像2


この度はサポート、誠にありがとうございます。読んでいただき、サポートいただけることは執筆や今後の活動の励みになります。今後とも応援、何卒宜しくお願い申し上げます。