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沢田研二 2021 ソロ活動50周年ライブ「BALLADE」2021年09月18日(土)神戸国際会館こくさいホール(兵庫県)

沢田研二 2021 ソロ活動50周年ライブ「BALLADE」
2021年09月18日(土)
神戸国際会館こくさいホール(兵庫県)
新型コロナウィルスにより、さまざまなコンサートが中止になり、規制がかかり、フェスもマスクをしないで騒ぐ若者が問題になる世の中となった。なかなか通常のコンサートの形式が出来ない時代になってしまった。
沢田研二のライブも5月に再開され、9月からのツアーは追加公演の位置付けになった。会場に入る前に検温、チケット半券の裏に名前と携帯番号を書くのは変わらない。会場に入ると、席に間隔が開いている。明らかに感染症対策であり、50%の比率を考えているのである。「これでは即完売になるな」と思いながら席に着いた。
17時丁度に会場は暗転し、沢田研二と柴山和彦が登場。沢田はステージに置いてあったペットボトルの水を一気飲み。会場から失笑が起こる。沢田研二は元気である。一曲目は『30th Anniversary Club Soda』である。福岡が台風で順延になってしまったので、実質的に初日となった神戸だが、久々に響き渡る沢田研二の歌声。万巻の思いが私の胸に去来した。歌い上げると沢田は会場に「まいど!」と言ったが、口に指を当てて「シーっ!」声を出さないようにという沢田なりのユーモア溢れたジェスチャーである。
そして、阿久悠・大野克夫が生み出した最大のヒット曲『時の過ぎゆくままに』。なんと歌詞を間違えてしまうがご愛嬌か。そして恒例のMC。
「神戸です。ようこそおいで下さいました!えー本当にもう、台風は来てたわ、あー緊急事態宣言真っ最中だわ、えーそんな中を来ていただいてありがとうございました。(拍手)神戸は50%ということで、えー、まぁ、自治体の仰る通りにしなければならない、それが基本でございますので、まぁ、売り出した時はともかく、えー、こういうことになってしまいましたが、えー、まあ、この様な状態がお医者さんにいわせると、あと2年は続くという(笑)。2年って(笑)えっ!22年でしょ、2022年でしょ、来年。もう一年ちゅうたら、2023年じゃん。75になっちゃうよ(笑)えーっ!(笑)もうそんなこと考えるとね、いやいや僕だけの話じゃないじゃないですか、皆さんだって、今日はなんとか来ていただけましたけど、やめときなさいって、みんなから言われる、もっと言われるようになるかもしれませんし、えー、まあ、あの、こんな、まあ、災害というんですか、大した、所謂被害は無かったようなのですが、あのー、台風14号がずーっと、なんというか台風のままでいるのか、予想では、とにかく予想では、予想では兎に角、もうしばらくしたら丁度17日が、私、福岡でコンサートが、昨日ですよ、もう、あのー、やってやれなくはなかったんですよ、でも、終わった時点で、電車、交通機関が何も無いという状態で、まあ、正確には、まぁー、そうじゃないのかもしれないけども、公共機関がないというので、それじゃあしょうがない、で、所謂順延ということで、えーそのいつ順延になるのかというのは決まりませんが、そういうことでやっとりまして、まあ、これからが、この9月が、また10月になって、台風がどの辺りまで、えー、どんどんどんどんわいてくるかによっては、本当に、えーコンサートの度に、もう、ね、スマホに変えたんですけど、そればっかり見てるねん(笑)もう、本当にスマホ難しい(笑)もう、嫌になっちゃう(笑)もう壊れちゃってね。あっ、ところで絵が出なくなったのよ(笑)それで、中に入っていたデータが全部消えて、いやいやそんな話をしている場合じゃないんだけど(笑)なんですけど。まあ、ウェザーニュースを見たりなんかしてるんですけど、まあ、兎に角そんな間をぬって、できる限りのことをやっていこうと、出来ないことはしょうがない。えー、まあ、中止にすることは止めにして、えーだって会館とかも自治体もやめなさいとは言わないんですよ。だから、まあ、そうなんだなっていう、東京なんかは、それから今度は京都ですよ、奈良ですよ、100%ですよ、100%(拍手)それは、奈良も100%でいいんだって。売れちゃったから(笑)売れちゃったから100%でいいんだって。そのかわりお客さんには。(ジュリー口をつぐむゼスチャー)(笑)ほとんど息を止めててもらおうという(笑)死んじゃうよね(笑)はい、そんなこんなでこれを続けていこうと思っているわけですが、あー、私も今年73、えー芸能生活でいうと54年ぐらいになる、ソロになったのは『君をのせて』という曲からで、そこから勘定して、えーソロ動50周年とうことで、コンサートをやらせていただいております。バラードだけで、えーまあ、バラードだけやったら、100%でも出来ますよと言われたのがキッカケだったんでございますけど、バラードな、バラードっていっぱいいろんな速い歌を歌ったりした後で歌う、そのバラードが何とも言えない味になるんだけど、バラードばっかりというと、いや、それもなかなかいいもんだっていうような感じでお送りしようと思いますんで、僕にとっては、これもあれもそれもバラードでございます。えー、ギターはお馴染みの柴山和彦(拍手)どうぞみなさん、最後までごゆっくり!(ジュリー跪く)」
コロナ禍を象徴する長いMCであった。そして、ソロデビュー50周年、そのスタートとなった歌、岩谷時子・宮川泰が生み出した名曲『君をのせて』。柴山和彦の流麗なギターが響き渡る。この曲では沢田の声が朗々と、会場を魅了する。
そして、『追憶』である。安井かずみ・加瀬邦彦の名曲。73歳のニーナが聴ける至福の瞬間である。このセットリストは全盛期を思わせる黄金の曲目である。
加瀬邦彦と沢田研二が組んだ名曲、『海にむけて』。2015年の加瀬邦彦追悼ツアーにて、最後に歌われた思い出深い作品である。そして覚和歌子、下山淳が残した『あの日は雨』、久世光彦、沢田研二が謹慎事件後にリリースした、『コバルトの季節の中で』。正に秋に相応しい名曲である。そして『雨だれの挽歌』で少し歌詞を忘れてしまうのはご愛嬌。『TOKIO』で前回と同じ、グランジっぽい編曲で、歌の所々に「COVID-19」という新型コロナウィルスを象徴するワードを入れるのを忘れないのも沢田研二らしい。そして、沢田研二の筆による『渚のラブレター』、そして注目はライブ初披露となる、『Help! Help! Help! Help!』である。5月のツアーで披露されると思ったが、これからの追加公演で初となる。無論掛け声部分は観客は無理だが。前回の『ISONOMIA』と交代という形になった。
そして第一部最後となる『いくつかの場面』では、近況事態宣言の中のライブを無事に走り終えた安堵感が会場に漂っていた。デビュー50周年ライブでもそうだったが、重要な節目となる箇所で登場する河島英五が遺した名曲である。
そして、アンコールの拍手の中、沢田研二再登場。そして再び長いMCである。
「ありがとうございました。えー、あー、疲れた(笑)えー、毎日外出する時は二重マスクで。で、リハーサルする時もマスクして、で、これが、その心肺を鍛えているんだと思ってたんですけど疲れてたかもしれん(笑)えー本当にもうこういう生活にも、えー慣れたとは言えない、でも、ついつい外出から帰って直ぐに手洗い、うがい、ってするの、だんだんだんだん「おお、そうや!」ってことになってしまってて、えーまあ、本当、こういう生活があと2年も続くと思うと、そこ頃までやってられるかなという気になってしまうんですけどね。でも、まあ、僕の計画では、あのー、こんなことが無かったら、でも、あっても、あのー、75まではちゃんとやろうと(拍手)」
コロナ渦でコンサートをする苦悩を語る。そしてある有名人の名前を口にする。加山雄三である。

「加山(雄三)さんだって病気になったりするんやから。そらもう、出てきてもなあ。もう、みんな恐縮しちゃうやんなあ。そりゃ、海のように心の広い人でしたっていうところでさあ。あのー、やっぱり加山さん出てきはったら、もう、出演者共演者一同が、あのー、やっぱり恐縮するやろなあ、僕の場合もね、恐縮するでしょう(笑)いやいや、あのー僕の場合は色んな意味であのー、ねぇ、あのー、海のように広いというような、その一色じゃないというような、いや、別にあの人が一色とは言ってませんが、また、あの人は色々な魅力をお持ちの方でございますけれど、えーまあ、本当に、なんか病気になってからね、好きなお肉も制限しているかも、食べないようにしているかもしれんね」
そして同級生も病気になり、老化や病気についても語る。
「これはもう、過去にやっぱり、えー煙草もやめ、それで今度辞めるとなったら、お酒ですがな(笑)それと僕らの同級生とか、そういう人たちも、みんな病気や(笑)病気で店やってんのって言ったら、暫く休んでんねん、いや、午前中だけなんやなあ、まあ、ほとんど毎日治療しに行ってんねん(笑)まあ、そんな話ばっかりでしょ、でも一緒に仕事していた、こりゃ、先輩だからですけども、先輩やから、歳も7つも、8つも違うとなったら、まあ、そうかもしれないんだけど、でも、それはもう、自分のことだってその様に思えますよね。だから、あのーストレスが溜まるようなお仕事ちゅうのは出来るだけやらない方がいいのよなあと思いますよ」
そして話題は『キネマの神様』、そして2022年秋公開の新作映画についての話に及ぶ。興味深いエピソードである。

「皆さん、ご覧になったかわかりませんが、『キネマの神様』という(拍手)代役でね、代役で、あれは、あのー、本当に16日間で撮れるって言われて、それで引き受けたんですよ、まあ、その時はコロナはコロナで大変なこととはあったけど、やるんですねということで、ましてや、松竹の100年だから今年やらなあかん訳でしょ?だから2020年に公開するために、だから、早う、まあ、僕やりますわって言って、勿論志村さんだということもあったし、山田監督だということもあったし、なんだけど、でもそれでも、やっぱり、その、その時に、その話をいただく前に一年を通じて撮影をするという映画を撮り始めた2月に。ねっ、それこそ、今は地図にも載っていない所にまあ、廃屋があるんです廃屋(はいや)が。えーそこを借り受けて、そこを中心に一年通じて四季を撮ってやるというね、えー水上勉さんというんですか、勉(べん)さんというんですか、僕も一度大昔に、一度だけ、二度かなあ京都のお店で会ったことがありましたが、まあ、その時もこんなお話になるとは夢にも思わなかったんですけど、まあ、その水上先生の役でというそういうお仕事は割とストレスが溜まらないんだけど、やっぱり『キネマ』の方はもう、真っ最中でもやる訳やから、それでも、あれ、東宝の撮影所でやってたんですね。で東宝は流石に最初の、最初の緊急事態宣言が発出された時には、閉めたんですよ。
それでまあ、また遅れるってことになって、そりゃ、遅れたらえらいこっちゃってなってで
どうしようどうしようてなったら、また暇になったもんだから、もう監督いうたら、もう台本を書き換える書き換える(笑)私最初に頂いた志村さんの台本なんか、ああ、これくらいやったら俺出来るわっていうてね、セリフ少なかったんや。ここだけの話しやで(笑)
それもあったから引き受けたのにで、僕がやるって決まったら、まして時間が余ったか
ら、「いまどんどん書き換えていますから」ってちょっと止めてくださいって言えないしな(笑)言えないでしょ。で、それで、それでもまあええっちゅうて書き直してあるんですよ。だからもう、ところどころ、そりゃどうしても直さないといけない所があった訳ですよ。というのは、えー、志村さんがね、子供たちに言われる、「このハゲ!」って言われるんですよ(笑)僕は言われんですむからな(笑)」
笑いを織り交ぜながら、MCは進んでいく。そして週刊文春の「ジュリーがいた」への複雑な想い。コロナ渦でとん挫した沢田が元官僚を演じる映画のプランがあったことなどが語られてゆく。
自身は「放っておいて欲しい」と言いながら世間、ファンが放さない73歳。MCを聞いていると80になろうが永遠のアイドルなどだと再確認できたのである。
そしてアンコール一曲目は『ヤマトより愛をこめて』である。「さらばと言わせないでくれ」。この日のセットリストが終わりに近づいているのを象徴する様な一曲である。阿久悠・大野克夫コンビが沢田研二に託した別れの歌が胸に突き刺さる。
そして『ハートの青さなら空にさえ負けない』。アップテンポな曲でありながら、認知度が低い佳曲である。新型コロナ禍という雲が晴れて、青空が見えるようにという、沢田なりの願望を私は感じとった。
私が少し危惧したのは11月3日の実質的な今回のツアー千秋楽、東京国際フォーラム公演の後に、福岡で順延となった振替公演をする事はMCでアナウンスされたが、来年のライブ予定が語られなかったことである。コロナ禍である現在、未来の予定は軽々に組めないということであろうか。
75歳とはいわず、88歳、米寿、それ以降もライブを継続して欲しい。1968年からスーパースターであった沢田研二は、令和になっても未来永劫、スターであって欲しい。
前向きな気持ちになるには、やはり新型コロナの暗雲が晴れるしかないのかと思う、今回の神戸であった。
1. 30th Anniversary Club Soda
2. 時の過ぎゆくままに
3. 君をのせて
4. 追憶
5. 海にむけて
6. あの日は雨
7. コバルトの季節の中で
8. 根腐れpolitician
9. 三年想いよ
10. 雨だれの挽歌
11. TOKIO
12.渚のラブレター
13. 明日は晴れる
14. Help! Help! Help! Help!
15. 届かない花々
16. いくつかの場面
アンコール
17. ヤマトより愛をこめて
18. ハートの青さなら空にさえ負けない


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