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DJ SPINBADへ -リスペクトと愛を込めて-

DJ SPINBAD、永遠に。

「Shu-G元気にしてるか?何かあれば誘ってくれよ。今度何か一緒にやろう。」

それが彼と最後に交わしたメールだったと思う。

ニューヨーク、そして世界を代表するDJの1人、DJ Spinbadが亡くなったという悲しいニュースがいきなり飛び込んで来た。

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あまりに急なこと過ぎて全く信じられない。

余りにも早過ぎる。

今、改めて彼が生み出したミックスを聴きながらこのブログを書いているが、こんなことがきっかけで聴くことになるとは思いもしなかった。

僕にとってSpinbadは目標としていたDJであり、20代の頃は彼のようなミックスを作りたいと思い必至で彼を追いかけていた。

SpotifyやApple Musicなどの音楽ストリーミングサービスが普及し誰もが簡単に曲を聴ける時代になり、改めてDJミックスの在り方が問われる昨今。

DJミックスは曲と曲をただ繋ぐだけではなく、何日も何日もターンテーブルに向き合い、身を削りながら他にはない斬新なアイデアを捻り出す。

それはただただみんなが驚くようなミックスを作りたいという思い。

そしてそこには純粋な音楽愛があるからこそ生み出せるものだと、同じくミックスを作り続ける者として心から理解できるし、彼のミックスを聴いているとその強い思いがヒシヒシと伝わってくる。

そして今彼のミックスを改めて聴いて、ミックスへの情熱を再び呼び起こさせてくれた。

Spinbadのミックスはやはり凄い、、、と実感。

彼とは一緒にミックスを制作したかった。

才能あるアーティストが亡くなった後に再評価されるというのはとても複雑な気持ちではあるけど、このブログを通して1人でも多くの人がDJ Spinbadという素晴らしいDJの存在を知ってくれたら嬉しいと思いこのブログを書こうと思った。

DJ Spinbadへリスペクトと愛を込めて。

ミックステープ制作で多大な影響を受けたDJ

僕が初めて彼のミックスを聴いたのは確か”Needle To The Groove“、もしくは”You Know My Steez”だったと思う。

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彼のミックステープを初めて聴いた時は、他のDJとは一線を画す完成度の高さミックスセンス、キレキレのスクラッチスキル、相当な時間と労力を感じさせる細部への拘りには当時かなり衝撃を受けた。

そして今、彼のミックスを久しぶりに聴いて改めて飛ばされている。。。

やはり最高のDJであり、DJの鏡。

まさに映画のようなストーリー性のある素晴らしいミックス。

彼の得意とする二枚使いや様々な声ネタを使用したSEスクラッチ(ネタを探すだけでも大変なはず)、斬新なブレンドミックス、意表を突くミックス展開。

ネタ探しに関する裏話は、親友のDJ JS-1がInstagramで語っていた。

英語ではあるけど是非チェックして欲しい。

僕がミックスを作る上で影響を受けたことは間違いなく大きく、聴いてる今でさえもワクワクさせてくれる。

DJ Spinbadとの出会い。

日本で活動をしていた頃、DJ Spinbadはまさに雲の上の存在だった。

SpinbadのようなDJになりたい。

「いつか彼と肩を並べるDJになるんだ」

そう思っていた。

そして、一緒にDJをするという夢が叶ったのが2011年に行われたマンハッタンでのインストアイベントだった。

Spinbadの前座ができたこと。

本当に光栄なことだったと今振り返ってみて改めて思う。

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Spinbad、この写真しか無くてごめん笑

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そして夜はStussy主催によるイベント。

でもこのイベントでは回すフロアも違うし共演と言えるほどでは無かった。

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そしてその一年後に再びSpinbadのツアーが開催。

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この時はSpinbadの前に回すということもあってかなり気合いが入っていて、「Spinbadを驚かせてやる!」と彼をお膳立てするという前座の役割ではなく、彼を殺しにかかっていた自分が今思うと恥ずかしい笑。

しかしながらプレイ後にSpinbad本人から「プレイ良かったよ!」と話しかけてくれ、とても嬉しかったのを覚えている。

ニューヨークでの再会

それから数年が過ぎ、更なる飛躍を目指しニューヨークへ移り住んだ。

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Spinbadはニューヨーク出身のDJだったので彼が回すイベントにはなるべく遊びに行っていたし、別のイベントでもSpinbadと顔を合わせる機会も多かったことと、共通の知り合いが多かったこともあり自然と仲良くなっていった。

確か彼と電話番号を交換したのはDJ Tony Touchのオールドスクールイベント“Toca Tuesday“が行われていたクラブCieloのバーカウンターだったと思う。

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まさかSpinbadと電話番号を交換する仲になるとは、日本に住んでいた自分には想像もできなかったことだったと思うし、ニューヨークに来て本当に良かったと思えた瞬間だった。

その後、自分の誕生日パーティーへの出演をSpinbadに依頼したことがあったんだけどスケジュールの都合で出演してもらうことが叶わなかったことがあった。

その後たまに彼と連絡を取り合うことはあった。

「Shu-G元気にしてるか?また何かあったら誘ってくれ。何か一緒にやろう」

おそらくそれが彼からの最後のメールだったと思う。

なぜもっとDJやミックスについて彼と話をしなかったんだろうかと心から悔やまれる。

Spinbadが残した素晴らしいミックスの数々

今でも彼が亡くなったことは信じられないし受け入れ難い事実。

全く実感が湧かない。

しかし彼が残した素晴らしいミックスはこれからも後世に受け継がれていく。

もう一度言うが、これほどのクオリティーのミックスを制作するには相当な労力と時間が必要とされる。

一つのスクラッチフレーズを探すだけで一日かかることもあるから本当に簡単じゃない。

でも今の時代は本当に恵まれている。

Spinbadのミックスを有難いことにMixcloudでフリーで聴くことができる。

彼の80‘s Popミックスは本当にやばいので是非聴いて欲しい。

皆さんがSpinbadのミックスを聴いて、彼がいかに素晴らしいDJであったかを少しでも知ってもらえたらとても嬉しいし、配信サービスでは感じることのできないDJミックスの素晴らしさを同時に感じてもらえたら嬉しいなと思います。

Spinbadが残したミックスを改めて聴いて気が引き締まった。

久しぶりにミックスを作ってみようと思います。

Spinbadが天国で喜んでくれるようなミックスを作れるように。

Spinbadありがとう。

安らかに。

Rest In Peace legend DJ Spinbad.

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(2011年、SpinbadのDJ後に撮った写真)






最後まで読んでくれてありがとうございます。コロナウイルスの影響で生きにくくなった時代。こんな時だからこそポジティブなメッセージであったり、力強く生き抜く知恵、有益な情報を皆さんとシェアしたいと思っています。