誰もがきっとたたかっているから
週末に岩井俊二監督のキリエのうたを観た。
今日はインタビューを読んで、パンフレットを読んで、余韻に浸っていた。
本作は音楽映画であると同時に震災による喪失を描いた作品だ。
映画から受け取ったメッセージのことを考えながら、街を歩く人に、かつて出会った人に思いをはせた。
あの人も、あの人も、やりきれない喪失感と闘いながら生きているのかもしれない。自分には知り得ない辛さをのりこえて、あるいは、辛さと共に歩んでいるのかもしれない。
つくづく人生には平等や慈悲はないな、と思う。仮に突然不幸が訪れたとしても、それを埋め合わせるような何かが世界から差し出されるわけではない。
平和に食べて、話して、寝て、をみんなが繰り返せればどんなにいいだろうと思う。
それが許されないのは、世界に許されている豊かさが有限だからなのか、大きな力を持つ誰かの欲望ゆえか、我々一人ひとりの至らなさの積み重ねか、あるいはそれらすべてか。
大人になって日々を重ねるほどに、いろんなことを知るたびに、ただ日常を元気でいられることが得難いことであるのだと気づかされる。そしてそれをだれかに支えられているありがたさにも。
小さなできごとだが、先日指を怪我することがあって、指が無事についていてくれて、ちゃんと使えることのありがたさを実感した。今年はぎっくり腰になり、コロナになり、と健康であるありがたさを実感する日々が続いている。
自分が健康であることも、関わる人が健康であることも、あたりまえではないのだと、かみしめる。
きっとみんな何かしらたたかっているのだと思う。
そんな日々の中でせめて少しでも、笑いや和やかさや幸せをとどけられる人でありたいと願う。簡単ではないけれど大事にしたい気持ち。
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