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僕に希望を届けてくれたのは音楽だった

音楽が社会と繋がる手段だった

高校生くらいまで、社会から発せられる大人は大変だというメッセージが漠然と未来にのしかかり、大人になることは辛いことだと思いこんですごしていた。

そんな僕に希望を届け、未来を切り拓いてくれた存在が音楽だった。

僕の地元は十勝の音更町。食や温泉、生活に紐付いた魅力的な物資に恵まれた地方だ。その代わり文化的なものはほとんどなくて、サラリーマンという職業もテレビの中だけの存在だった。

当時はひたすら音楽を聴いてすごしていた。音楽を聴くこととアーティストのインタビューを読むことが数少ない社会と繋がる手段だった。

初ライブはオールナイトフェス

ライブに初めて参加したのは高校2年生の時に行ったオールナイトフェスRising Sun Rock Festivalだ。友達と2人で十勝から札幌までバスに3時間乗って雨上がりの石狩の大地へと滑り込んだ。

フェスでのライブ体験は圧倒的だった。BEAT CRUSADERSで生まれて初めてモッシュを経験して足が地面につかなかったこと、The HIATUSの「紺碧の夜に」を知らない人と肩を組んで歌ったこと、山下達郎の歌声が神々しく青空の下に響いて心の中の全てを浄化してくれたこと。

会場にいるお客さんを見渡してこんなにもたくさんの大人たちが音楽を愛して楽しんでいるという事実にも心底驚いた。当時、大人という生き物は、遊びも趣味も捨てて生きるのだとばかり思いこんでいたけど、心の底から楽しむ彼らが大人だって楽しいことがたくさんあるんだって教えてくれた。

転がる岩、君に朝が降る

トリはASIAN KUNG-FU GENERATION。朝日の下、ゴッチが「今日は終戦記念日ですね」とぽつりと言って、最後の曲「転がる岩、君に朝が降る」が演奏された。

出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっとそれもあるよな

あの瞬間から僕の中の世界は、たしかに塗り替えられた。あの場にいる何万人もの人がきっと平和を祈っていて、音楽を通して同じ想いを共有できたことは、僕にとって大きな希望だった。そして、この美しい世界をもっと良くしていきたいと強く想った。

地元で生まれて育って高校を卒業したらすぐに働いて役目を全うする。それだけが正しいと思いこんでいた。だけど、もっと広い世界を観たい、未来をつくっていきたいと思わせてくれた。

あの日から僕の中で音楽は、好きだけでは収まらない特別で揺るぎない存在になった。

あの日がなければ札幌の大学には行かなかったかもしれない。今東京で社会人生活を送っていないかもしれない。それくらい大きなきっかけを音楽が、音楽を通して出会った人たちが贈ってくれた。

レビューは音楽の絵馬だ

音楽を聴くのと同じくらい好きだったのがCDのレビューを読み漁ることだった。SNSも発達していなかった中学高校時代、Amazonレビューは音楽の絵馬だった。あの場所には色んな人の「好き」や「思い出」がたくさん綴られていて、読めば読むほど自分の中の「好き」もふくらんで大きくなった。孤独を感じたときも同じ音楽を好きな人が世界のどこかにいる事実が希望になった。

時々どうしてこんなにも自分は音楽を好きなのだろう?と疑問に思う。それはきっと音楽が人の想いを運んで繋ぐ存在でもあるからなのだと思う。

振り返ると音楽があったから仲良くなった人がたくさんいる人生だった。昔聴いていた音楽を聴くとアルバムをめくるように当時の記憶が空気感と共に蘇ってくる。音楽は過去も今へと運んでくれるのだ。

モバゲー、mixi、Twitter、YouTube、note。色んなSNSやサービスの思い出を振り返るといつもそこには音楽があった。色んなサービスの中で音楽が媒介になって人の想いを時間も場所も超えてを運んでくれた。

きっとこれからも音楽は人の想いを繋ぎ、人を繋ぎ、僕に希望を与え続けてくれるのだと思う。そんな音楽に僕は心の底から感謝している。

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