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家賃28,000円敷金礼金仲介0円からはじまった1人ぐらし

地元を出て札幌市の隣町、江別市で初まった大学生活は寮暮らしだった。

今時の寮なのに門限がある不自由な寮で23時という門限は札幌駅からドアtoドアで40分ほどかかるこの寮にはとても厳しく何度も友達の部屋の窓から部屋の中へと入れてもらう日々。

寮仲間たちとどんちゃん騒ぎしたりオンラインゲームをしたり、友達が彼女を連れ込んで管理人さんにバレたり、友達の部屋から女の子の声が聞こえるから女の子を連れ込んでいるのかと思いきやAVのインタビューをスピーカーで爆音で見ているだけだったりとなんとも男子大学生感のあふれる充実した日々だった。

そんな暮らしにも限界が来た当時寮ぐらしだった仲間たちが何人も引っ越しを企てた。(理由は主に門限)僕も例外なくその一人だったわけだがとにかくお金がなかったのでとにかく安い家を選んだ。

築30年程度、家賃28,000円敷金礼金仲介手数料管理費0円、6畳の部屋と8畳の部屋があってトイレ・バスが別という破格の物件だ。

あまりに安いので大島てるで調べたが事故物件ではないようだ。もうここにしてしまおうと住んだこの部屋。実は僕は霊感が強い方なのだが無事霊的なものも感じることはなかった。

あの部屋での思い出はどれもが懐かしい。ひどいことだってたくさんあったけれどなんだかすべてが今となっては愛おしい。

プロパンガスってやつはべらぼうに高くて冬の北海道で使うとガス代だけで2万円を超えるのだ。たまったものではない。僕はたまらず灯油ストーブを購入した。灯油をガソリンスタンドで30L購入しタクシーに乗ろうとするとまさかの乗車拒否。バスも乗車不可。氷点下の北海道で30Lのポリタンクを両肩に抱えうんうんうなりながら真冬の北海道の深夜帯を家まで歩いて帰った。

アパートの階段にはなぜか屋根がなかった。雪が振った日の翌日は20cm以上階段に雪が積もっている。かきわけるというより滑り降りて家を出る日だった。家に友達が来るときは何度も「階段がやばいから」と念押しして「いやいや大丈夫でしょ」とみんなは言うものの来てみると、誰もがドン引きするようなそんな家だった。

冬場のドアは氷がひどく、朝は電子ケトルでドアを解凍しないと外に出られない日もあった。
しまいにはドアが皮をめくるように真っ二つに剥がれる始末。

水道は何度も漏水し水道屋さんに何度も来てもらった。幸いだったのは管理会社のサービスで無料だったことだ。管理費0円なのにすげえな。治しても治しても漏水して3回くらい来てもらったけど笑

書いていくと色々とひどい家だったが悪いことばかりではなかった。

以外と部屋は寒くなかったし日当たりは良好だったし、夏は熱すぎず涼しかった。古い木がいい感じに音を吸ってくれるのか隣の部屋の音はあまり聴こえずアコースティックギターを弾いてもクレームが発生しないような家だった。(実際はうるさかったのかもしれません。ごめんなさい。)

夏の夕方に窓を開けると気持ちのいい風が吹き込んできて、泣きそうなくらいに心が癒やされた。

大学時代付き合っていた恋人がこの曲のMVを観るとあの家を思い出すと言っていて、なんだかあのボロい部屋に箔がついた気持ちになった。こういうMVを観ると一度こんな暮らしがしたいなんて思うものだ。そうだしていたじゃないかこんな暮らし。ど田舎のあたたかく陽が射す和室とギター。

質素な日々。あんな日々でも豊かに感じられたのは一緒にあの部屋で時間を共にしてくれた人がいたからだな、きっと。そんなことを思い出してあたたかくて嬉しい気持ちになる。

引っ越しの時、冷蔵庫と洗濯機を譲った知人が部屋の片付けを手伝いに来てくれて、警備役の友人に通路を確保してもらってベッドを二階から雪のクッションにぶん投げたりした。あの日はとてつもなく心地のいい晴れの日だった。

どんな部屋でも大きなトラブルさえなければ、それぞれに生活の光があって、思い出があるのだと僕は思う。

次はシェアハウスとかに住んでみたいなあ。人生で1度も同棲ってやつをしたことがないので人と同棲もしてみたい。

最近遊びや仕事だけでなく暮らしに興味が湧いてきた。次はどんな街でどんな暮らしをしようか。まだまだこの先の日々の可能性は広がっているなあ。唯一頭を悩ませるのは引っ越し費用だ。お金を貯めるのをがんばろう。

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